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ボケずに笑わせ、後に背中で語った男——いかりや長介、二つの人生

コメディアン、と聞いて思い浮かぶのは、たいてい一番派手にボケる人だ。だが、いかりや長介は違った。彼はザ・ドリフターズのリーダーとして、自分が前に出るより、加藤茶や志村けんを思いきり暴れさせる土台を黙って組み立てる人だった。いわば「笑いの現場監督」である。

そしてもう一つ。お笑いの怪物として頂点を極めたこの人は、晩年、まるで別人のように渋い役者へと姿を変えた。一つの人生で二つの伝説を生きた——その稀有な軌跡をたどる。

ベーシストとして始まった芸の道

1931年11月1日、碇矢長一は東京府本所区中之郷横川町(現・墨田区東駒形)に生まれた。戦時下に静岡へ疎開した経験を持つ、下町育ちの男である。高校は定時制に通うが中退し、大学には進まなかった。

彼の出発点は笑いではなく、音楽だった。1950年代後半からベーシストとしてバンド活動を始め、1961年頃にはジミー時田とマウンテン・プレイボーイズに参加する。やがてザ・ドリフターズに加わり、1964年、その三代目リーダーに就任した。コメディの帝王は、まず一人の演奏者として世に出たのだ。

視聴率50.5%という怪物番組

1969年、TBSで『8時だョ!全員集合』が始まる。土曜夜のお茶の間を文字通り席巻したこの番組は、最高視聴率50.5%という、今では考えられない数字を叩き出した。日本テレビ史に残る化け物番組である。

その中心にいながら、いかりやは自分が一番笑いを取ろうとはしなかった。リーダーとして全体を仕切り、メンバーが存分にボケられる舞台を整える。彼の決め台詞「だめだこりゃ」は、突き放すようでいて、どこか温かい。混沌を生み出し、まとめ上げる——その懐の深さこそが、ドリフという伝説を支えていた。番組は1985年に幕を閉じる。

五十代からの、第二の人生

番組終了後、いかりやは俳優活動へと舵を切る。1987年、NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』に鬼庭左月斎役で出演し、コメディアンとは違う重厚な演技で注目を浴びた。1990年には、巨匠・黒澤明監督の映画『夢』にも出演している。

コントで散々笑わせてくれた人が、急に背中で語り出す。その振り幅に、視聴者の心はついていくのがやっとだった。長年染みついた「笑いの人」という看板を、彼は実力で塗り替えてみせたのである。

和久さんという、もう一つの代表作

1997年、フジテレビのドラマ『踊る大捜査線』で、彼はベテラン刑事・和久平八郎を演じる。若き織田裕二演じる主人公を導く、人生の機微を知り尽くした男。その一言一言が妙に沁みると、世代を超えて愛された。

1998年公開の映画『踊る大捜査線 THE MOVIE』での同役により、1999年、第22回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。コメディの王が、演技でも国内最高峰の栄誉を手にした瞬間だった。2003年の劇場版第二作にも和久さんとして出演している。

下町の男が遺したもの

私生活では三度の結婚歴があり、長男・碇矢浩一は現在ドリフターズ事務所の代表取締役を務めている。海外旅行、とりわけアフリカへの旅を好んだという、好奇心旺盛な一面もあった。

2004年3月20日、食道がんのため東京都港区の病院で死去。七十二歳だった。没後、従四位を叙位されている。下町に生まれ、ベースを抱え、笑いの現場を仕切り、最後は名優として惜しまれた——一筋縄ではいかない、豊かな生涯だった。

「だめだこりゃ」とぼやくおどけた顔も、刑事ドラマでビシッと締める渋い横顔も、どちらも紛れもなく本物だ。笑わせる才能と、しみじみと語らせる才能。その両方を一人で抱えた人は、そう多くない。

昭和の宝、という言葉は、こういう人のためにある。いかりや長介は、ほんとうに、いい仕事をしていった。