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肩書きが多すぎる男――リリー・フランキーという飄々とした天才

リリー・フランキー(俳優・イラストレーター)の写真

名刺を一枚もらったとして、その肩書きを全部読み上げるのに息継ぎが要る人物がいる。俳優、イラストレーター、作詞家、歌手、作曲家。リリー・フランキー、本名もまたリリー・フランキーとして世に通る、福岡県小倉市出身の表現者である。1963年11月4日生まれ、蠍座。

普通なら、これだけ手を広げれば「器用貧乏」と呼ばれてもおかしくない。けれど彼の場合は逆だ。どの分野でも、力みのない自然体のまま、いつのまにか結果を残してしまう。脱力したオッサンの役がドンピシャでハマるのに、その実、ブルーリボン賞をきっちり二度も手にしている。つかみどころのなさそのものが、彼の才能の正体なのかもしれない。

この記事では、武蔵野美術大学を出た一人の青年が、なぜあれほど胡散臭くて、それでいて人を泣かせる「オッサン」を演じられるようになったのか、その輪郭をたどってみたい。

小倉から武蔵野美術大学へ

リリー・フランキーは福岡県小倉市(現在の北九州市小倉地区)に生まれた。九州の港町で育った青年が向かったのは、東京・武蔵野美術大学である。

美大出身という経歴は、彼の表現の根っこを理解するうえで欠かせない。絵を描く人間の目線、構図を考える頭の使い方、線一本に宿る感情への敏感さ。後年、彼がイラストレーターとして名を成し、同時に俳優として「画面の中に収まる佇まい」を計算なしに作り出せるのは、この時期に養われた美術的な感覚と無関係ではないだろう。

一つの肩書きに収まらない表現者

彼の活動領域は、俳優、イラストレーター、作詞家、歌手、作曲家にまたがる。一つの才能を一つの職業に閉じ込めない、という生き方を地で行く人物だ。

興味深いのは、これらが「副業」の寄せ集めには見えないことである。絵も、言葉も、音も、演技も、どれもが同じ一人の人間の体温から出てきたものとして地続きに感じられる。だからこそ、肩書きが多すぎて笑ってしまうほどなのに、その作品群に散漫さがない。多才とは、本来こういうことなのだと思わせる。

二度のブルーリボン賞

俳優としての評価を端的に物語るのが、ブルーリボン賞の二度の受賞である。2009年に新人賞、そして2017年には助演男優賞を受けた。

新人賞から助演男優賞へ。この八年の歩みは、彼が一過性の話題ではなく、息の長い実力派として日本映画界に根を張ったことを示している。飄々として、どこか胡散臭く、力など入っていないように見える。それでいて、気づけば賞を持って帰っている。あの自然体こそが、最も真似のできない演技だということを、二つの賞は静かに証明している。

力まずに、人を泣かせる

彼の役柄には、世の中を少しだけ斜めから見ているような、けれど根は優しいオッサンが多い。声を荒げるわけでもなく、大きな身振りで訴えるわけでもない。ただそこにいるだけで、観る者の胸の奥をそっと突いてくる。

肩の力が抜けているからこそ届く感情がある。きれいに整えた芝居ではなく、生活のにおいのする芝居。武蔵野美術大学を出た理知的な人間が、これほど自然に「市井の人」を生きられるという落差そのものが、彼を唯一無二の存在にしている。

リリー・フランキーを一言で説明しようとすると、いつも言葉が足りなくなる。俳優と呼べば絵描きの顔がこぼれ、表現者と呼べば飄々としたオッサンの顔が顔を出す。

だがおそらく、その「収まりの悪さ」こそが彼の本質なのだ。一つの枠に押し込めようとするたびに、すり抜けていく。そして気づけば、新しい肩書きをまた一つ増やしている。つかみどころのない天才とは、まさに彼のような人を指すのだろう。