常識を疑え――三木谷浩史が日本のインターネットを切り拓くまで

「常識とは多数派の理論にすぎない」。そう言い切る男がいる。三木谷浩史。楽天グループを一代で築き上げた起業家であり、いまや日本のインターネット経済を語るうえで欠かせない存在だ。
エリート銀行員の地位を自ら捨て、まだ世間がインターネットを胡散臭く見ていた時代に飛び込んだ。社内の公用語を英語にすると言い出して周囲を呆れさせ、それでもやり切った。野球チームもサッカーチームも手に入れ、携帯電話事業にまで踏み込んだ。理屈っぽい顔をしながら、やっていることは誰よりも常識外れ――それが三木谷という経営者である。
神戸の少年、ハーバードへ
三木谷浩史は1965年3月11日、兵庫県神戸市に生まれた。父は経済学者で神戸大学名誉教授の三木谷良一。学問の薫る家庭に育った。明石市立松が丘小学校、朝霧中学校を経て兵庫県立明石高等学校を1983年に卒業し、一橋大学商学部へ進む。
大学では体育会テニス部の主将を務め、勝負の世界に身を置いた。1988年に一橋大学を卒業すると日本興業銀行に入行。さらに1993年にはハーバード大学経営大学院でMBAを取得する。エリート街道のど真ん中。誰もが安定した未来を約束されたと思うキャリアだった。
安定を捨てて、ネットへ賭ける
だが三木谷は、その安定を自ら手放す。1995年、日本興業銀行を退職してクリムゾングループを設立。そして1997年、株式会社エム・ディー・エム(現・楽天グループ)を立ち上げ、インターネット・ショッピングモール「楽天市場」を開設した。
インターネットがまだ広く信用されていなかった時代に、彼は「これからはインターネットだ」と一人で突き進んだ。その読みは当たり、楽天市場は急成長を遂げる。2000年には日本証券業協会に株式を店頭登録し、ベンチャーの代表格として注目を集めた。銀行員の安全な椅子を捨てた賭けは、見事に実を結んだのである。
球団とクラブ、二つの地元へ
事業の拡大とともに、三木谷はスポーツの世界にも乗り出す。2003年にはJリーグのヴィッセル神戸を買収してオーナーに就任。翌2004年には東北楽天ゴールデンイーグルスを創設し、プロ野球界に新たな球団を誕生させた。
地元・神戸と、球団を構えた東北。三木谷は両方の地域を本気で盛り上げにいった。2013年には楽天イーグルスが日本一を達成し、東日本大震災からの復興を願う東北の人々を大いに沸かせた。理詰めの経営者と思われがちな彼の、人情に厚い一面がそこには表れていた。
「たかが英語」と言い切った男
三木谷の名を一躍知らしめたのが、楽天社内の公用語を英語にするという大胆な決断だった。「日本企業が何を言っているのか」と世間から散々ツッコまれたが、彼は意に介さず、自著のタイトルにもなった『たかが英語!』の精神でこれをやり切った。言ったことは意地でも通す――その頑固さが、彼の真骨頂だった。
その功績と存在感は国内外で評価される。2004年に日本イノベーター大賞、2012年にはハーバード大学経営大学院の卒業生功績賞を当時最年少で受賞。2014年にはフランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを授与され、同年には新経済連盟の会長にも就任した。
第4のキャリアへの挑戦
三木谷の挑戦は止まらない。2019年、楽天グループは楽天モバイルとして携帯電話事業に本格参入し、日本の「第4のキャリア」を目指した。巨大な先行三社がひしめく市場へ、巨額の投資を投じて挑むこの決断もまた、常識を疑う彼らしい一手だった。
私生活では1991年に晴子夫人と結婚し、息子と娘の二児に恵まれた。趣味はテニスとカラオケ。181センチの長身で、2019年にはベストドレッサー賞も受賞している。著書も多く、『成功の法則92ヶ条』『楽天流』など、自らの経営哲学を惜しみなく言葉にしてきた。
銀行員のエリート街道を捨て、誰もが疑った時代にインターネットへ賭ける。英語公用語化を世間の反対を押し切ってやり遂げ、球団とクラブで地元を熱くする。三木谷浩史の歩みは、まさに「常識を疑え」を地で行くものだった。
理屈っぽい顔をしながら、やっていることは誰よりも熱い。常識からいちばんハミ出しているのは、常識を疑えと説く本人かもしれない。日本のインターネット経済を切り拓いた起業家は、いまも前のめりで次の挑戦を見据えている。