なんでもできて、偉ぶらなかった人――三浦春馬が遺したもの

顔がいいだけの俳優なら、いくらでもいる。けれど三浦春馬は、そうではなかった。芝居ができて、歌えて、踊れて、しかもそのどれもが本物だった。なのに、決して偉そうにしない。その静かで丁寧な佇まいが、才能よりもさらに人を惹きつけた。
三浦春馬。1990年4月5日、茨城県土浦市に生まれた俳優・歌手・声優である。子役の頃から第一線に立ち続け、2020年7月18日、30歳でこの世を去った。
恋空、永遠の0――若い世代から年配の人まで届く作品にずっと出続けた。この記事では、彼が残した確かな足跡をたどる。
土浦から、子役として
彼は茨城県土浦市の出身だ。早くから芸の世界に入り、子役の時代を経て、そのままずっと第一線で芝居を続けてきた。
高校は堀越高等学校。芸能と学業を両立できる環境のなかで、彼は俳優としての土台を築いていった。子役から大人の俳優へと、途切れることなく歩みを進められた人は決して多くない。
賞が証明した実力
彼の実力は、数々の賞が裏づけている。2008年には日本アカデミー賞新人俳優賞と毎日映画コンクール、翌2009年にはエランドール賞新人賞を受賞。
その後も2013年のギャラクシー賞、2014年の日本アカデミー賞、2016年の読売演劇大賞、2017年の日本ジュエリーベストドレッサー賞、そして2019年にはソウルドラマアワードと、映画・テレビ・舞台のいずれの領域でも評価された。新人賞から始まり、ジャンルを越えて認められ続けたことが、彼の幅広さを物語っている。
世代を超えて届いた代表作
代表作には、恋空、大切なことはすべて君が教えてくれた、僕のいた時間、永遠の0、14才の母、そしてごくせんが並ぶ。
学園ものから戦争を描いた重い物語まで、扱う題材は実に幅広い。若い子からおっちゃんおばちゃんまで、世代を問わず届く作品にずっと出続けてきた。そのことが、彼という俳優がどれだけ多くの人の生活のそばにいたかを示している。
器用なのに、偉ぶらない
踊らせれば踊れる、歌わせれば歌える、芝居は日本アカデミー賞で認められる。ほんとうに何でもこなしてしまう人だった。
それでいて、変に偉そうにすることがなかった。真面目で丁寧な佇まい――それこそが、技術以上に人を惹きつけた。何でもできる人が謙虚であることの稀さを、彼は身をもって示していた。
30歳での早すぎる旅立ちは、ほんとうに惜しい。惜しすぎる。なんでもできて、それでも偉ぶらなかった人が、こんなにも早く去ってしまった。
それでも今、彼の作品を観れば、自然と背筋が伸びる。「ああ、ええ役者やったなあ」と。茨城の土浦から出てきて、子役から第一線を歩き続けた一人の俳優が、たしかにここにいた。その事実は、これからも作品のなかで生き続ける。