声で殴られに行きたくなる——藝大からロックへ、井口理という稀有なシンガー

あの透き通った高い声でファルセットを決められると、こちらの背筋がスッと伸びてしまう。部屋の空気が一段冷たく、澄んでいくような感覚——それが井口理の歌だ。
1993年10月5日、長野県伊那市生まれ。山あいの町から出てきて、東京藝術大学という日本最高峰の音楽教育の場まで進みながら、そこから出てくる音はロックバンドのキンッと尖ったやつ。歌い、鍵盤を叩き、芝居をし、ラジオでしゃべる。引き出しの数がどう考えてもおかしい、多才きわまる表現者である。
これは、クラシックの訓練を受けた声でロックを射抜き、舞台を降りれば距離ゼロのお兄ちゃんになる、一人のシンガーソングライターの物語だ。
伊那から藝大へ
井口理は長野県伊那市に生まれた。山に囲まれた地方都市から、日本で最も入るのが難しい音楽の学府の一つ、東京藝術大学へと進む。声楽をはじめとする本格的な音楽教育を受けた、その経歴だけでも十分に異色である。
普通なら、その訓練は端正なクラシックの世界へとつながっていきそうなものだ。ところが彼が世に放った音は、まるで違う方向を向いていた。クラシックの素養を持ちながら、それをロックの尖った表現にぶつける——その選択が、彼を唯一無二の存在にした。
声という武器
井口理を語るうえで、何よりもまず声である。透明感のある高音、決まりどころで放たれるファルセット。歌っているときの彼は、まるで別世界の住人のような顔をしている。
藝大で磨かれた技術が、ロックの激しさと出会ったとき、その声はただ美しいだけでなく、聴く者を射抜く鋭さを帯びる。「声で殴られに行きたくなる」——そう言いたくなるほどの強度を持った、稀有なボーカリストだ。
鍵盤も、芝居も、ラジオも
彼の肩書きは一つではない。シンガーソングライターであり、キーボーディストであり、俳優であり、ラジオパーソナリティでもある。これだけ手を広げれば、ともすれば器用貧乏——どれも中途半端、になりかねない。
ところが井口理は、そのどれもがちゃんと様になっている。鍵盤を叩けば音楽の核を担い、芝居をすれば役の中に立ち、マイクの前に座れば人を惹きつける。多才でありながら、一つひとつの精度を落とさない。そこが、小憎たらしいほどに見事なのだ。
歌う顔と、しゃべる顔
歌っているときの彼は、別世界の住人のように見える。ところがラジオでしゃべらせると、いきなり距離ゼロの、気さくなお兄ちゃんに変わる。このギャップが、また反則級にいい。
舞台の上で見せる超越的な姿と、マイクの前で見せる人懐っこさ。その二つが同じ一人の人間の中に同居していることが、彼の表現に厚みと親しみの両方を与えている。遠い存在に見えて、すぐ隣にいてくれるような——その振れ幅が、ファンを離さない。
山あいの伊那から出てきて、藝大で声を鍛え、ロックの尖った音に身を投じ、鍵盤も芝居もラジオもこなす。これだけの要素が一人の中に収まっていること自体が、ほとんど奇跡のようだ。
あの澄んだ高音に背筋を伸ばされ、ラジオの気さくさにほだされる。声で殴られに行きたくなる、そんな稀有なシンガー——井口理という名前を、一度聴いたら忘れられない。