富山から世界の頂へ――八村塁、夢物語をコートで現実にした男

NBA。バスケットボールの世界の、その頂点に君臨するリーグ。少し前まで、日本人がそこでドラフト1巡目に指名され、当たり前のようにプレーするなど、完全な夢物語だった。
富山県富山市に生まれた一人の少年が、その夢物語を現実に変えた。ベナン人の父と日本人の母を持ち、203センチの巨体に似合わぬ繊細なシュートタッチを武器に、彼は世界最高峰の舞台へと駆け上がっていく。
八村塁。彼がコートで躍動するたびに、日本のバスケ少年たちの夢は確かに大きくなっていった。これは、不可能を可能に変えたフォワードの物語である。
富山に生まれたハーフの少年
1998年2月8日、八村塁は富山県富山市に生まれた。父はベナン人、母は日本人。弟の阿蓮ものちにバスケットボール選手となる、スポーツ一家だった。
富山市立奥田中学校でバスケットボールと出会った彼は、その才能を一気に開花させていく。大柄な体格と、生まれ持った身体能力。だが彼の魅力は、力だけではなかった。デカい体に似合わない、柔らかく繊細なシュートタッチ――それこそが、後に世界で武器となる原石だった。
高校三冠と、海を渡る決断
宮城県の明成高等学校に進学した八村は、瞬く間に高校バスケ界の主役となる。2013年には全国高校バスケットボール選抜優勝大会で優勝に貢献。さらにウインターカップでは3連覇という偉業を成し遂げた。
そして2015年、彼はアメリカ・ワシントン州のゴンザガ大学へと進学する。スポーツマネジメントを専攻しながら、NCAAのトップクラスで存在感を示していった。錦織圭がテニスでそうしたように、八村もまた、世界で戦うために若くして海を渡る道を選んだのだ。
日本人初、ドラフト1巡目指名
2019年、運命の夜が訪れる。NBAドラフトで、八村塁は全体9位、堂々の1巡目指名を受けた。日本人選手として史上初の1巡目指名だった。
入団先はワシントン・ウィザーズ。雲の上のリーグで、日本人が普通にプレーする――それまで夢物語でしかなかった光景が、ついに現実になった瞬間である。翌2020年にはNBAオールルーキーセカンドチームに選出され、ルーキーながら確かな実力を世界に示した。
旗手として、代表として
2021年、東京オリンピック。八村塁は日本代表選手団の旗手という大役を担い、開会式で日の丸を掲げて入場した。世界中が見守る舞台で、彼は日本のスポーツの象徴となった。予選リーグでは平均22.3得点を記録し、代表のエースとしての責任を結果で示してみせた。
背負うものが大きいほど、彼は応えてきた。日本代表という重圧の中でも崩れないメンタルの強さは、彼の大きな魅力の一つである。
レイカーズ、そして3000得点
2023年1月、八村は名門ロサンゼルス・レイカーズへトレード移籍する。同年夏には3年総額約5100万ドルの契約延長に合意。NBAの中心に近い場所で、彼は戦い続けた。
2024年1月29日には、NBA通算3000得点を達成。アジア人選手として2人目の快挙だった。プレーオフでの3ポイント成功率はキャリア通算で51.6パーセントと、プレーオフ史上でも屈指の数字を残している。一方で同年、パリオリンピックでは左ふくらはぎの負傷により途中離脱という悔しさも味わった。
順調なときも、痛みに耐えるときも、彼はコートに立ち続けてきた。
体格で当たり負けしないフィジカルと、日本人らしい勤勉さ。その両方を併せ持つ八村塁は、いわば「ええとこ取り」の選手だ。ベナンと日本、二つのルーツが一人のフォワードの中で溶け合い、唯一無二の存在を生んだ。
世界を相手に堂々と渡り合うその姿は、見る者を誇らしい気持ちにさせる。彼がコートで躍動するたびに、どこかの体育館でボールを追う少年の夢は、また一回り大きくなっているはずだ。