celeb-db
English

「ちょー気持ちいい」――荒川区のプールから世界の頂へ、北島康介という平泳ぎの城

北島康介(競泳選手・スポーツ経営者)の写真

2004年8月、アテネ。100m平泳ぎを制した日本の青年が、インタビューでマイクを向けられて発した第一声は、練り上げた美辞麗句ではなかった。「ちょー気持ちいい」。心の底からあふれ出たその一言は、その年の流行語大賞に輝き、一人のアスリートの名を国民全体に刻みつけた。

北島康介。1982年9月22日、東京都荒川区に生まれた彼は、平泳ぎという種目で世界の頂点に立ち続けた競泳選手である。100mと200m、その二種目をアテネと北京で連覇――五輪史上、誰も成し得なかった偉業を成し遂げた男だ。

これは、下町のスイミングスクールから泳ぎ出した少年が、「気持ち」で泳ぎ、世界に平泳ぎの城を築き上げた物語である。

5歳のプール、運命の出会い

北島康介が水泳を始めたのは5歳のとき。荒川区の東京スイミングセンターに入会し、水と向き合う日々が始まった。やがて中学2年生のとき、彼の人生を決定づける出会いが訪れる。コーチの平井伯昌に見出され、本格的な指導を受け始めたのだ。

平井コーチとの二人三脚は、その後の北島の競技人生を貫く柱となった。本郷高等学校に進み、日本体育大学へ。1999年には全国中学校水泳競技大会で頭角を現し、競泳界の期待を一身に背負う若き才能として注目を集めていく。

18歳のオリンピック、そして世界新記録

2000年、北島康介は高校3年生、18歳でシドニーオリンピックに初出場する。100m平泳ぎで4位入賞を果たし、日本記録も樹立。世界の舞台に確かな足跡を残した。

そして2003年、バルセロナの世界水泳選手権で彼は爆発する。100mと200mの平泳ぎを制覇し、しかもそのどちらでも世界新記録を打ち立てた。21歳の青年は、平泳ぎという種目で名実ともに世界一の座を掴み取ったのである。この年、彼は紫綬褒章を受章している。

アテネとあの一言

2004年のアテネオリンピックは、北島康介を国民的ヒーローへと押し上げた舞台だった。100m平泳ぎ、200m平泳ぎ――その二種目をともに制覇し、金メダル二つを胸に刻んだ。

そして、100m制覇後のあの第一声。「ちょー気持ちいい」。大舞台で哲学的なコメントを用意してくる選手も多いなか、彼は飾らない本音をそのまま口にした。その素直さが多くの人の心を掴み、流行語大賞の年間大賞に選ばれる。アテネでの偉業とこの一言によって、北島康介の名は水泳ファンの枠を超え、日本中に知れ渡った。

北京での連覇、五輪史上初の快挙

2005年、日本体育大学を卒業した北島は、日本コカ・コーラと所属契約を結び、日本初のプロ競泳選手となった。プロとして臨んだ2008年の北京オリンピック。彼はここで、誰も成し得なかった偉業を達成する。

100m平泳ぎを世界新記録で、200m平泳ぎを五輪新記録で制し、二種目同時の連覇を果たしたのだ。これは五輪史上初の、平泳ぎ二大会連続二種目制覇という快挙だった。荒川区のプールから泳ぎ始めた少年が、平泳ぎの世界に「北島という城」を築き上げた瞬間である。

引退、そして次世代への贈り物

2012年のロンドンオリンピックでは、男子400mメドレーリレーで銀メダルを獲得。2013年には元girl next doorのボーカル・千紗と結婚し、翌2014年には長女が誕生した。2016年、リオデジャネイロオリンピックの代表選考で落選した彼は、現役引退を表明する。

だが、水と北島の物語はそこで終わらない。引退後は東京都水泳協会副会長に就任し、スイミングスクール「KITAJIMA AQUATICS」を創設。2020年にはインターナショナル・スイミング・リーグのプロチーム「東京フロッグキングス」の最高責任者となった。2023年には国際水泳殿堂入りを果たし、その功績は世界的にも永久に記録されることとなった。

北島康介は、「気持ち」で泳いだ男だった。大舞台で吠え、勝利の歓喜を全身で表現し、「ちょー気持ちいい」という飾らぬ一言で時代を象徴した。座右の銘は「平常心」。だが、その平常心の奥には、誰よりも熱い情熱が燃えていた。

荒川区の下町プールから世界の頂点まで泳ぎ着いたその根性、そして引退後もスクールやチーム経営を通じて次の世代に水泳の楽しさを伝え続ける姿には、水を心から愛する人間の純粋さがにじむ。あのレース後の吠える顔は、日本のスポーツ史に永遠に刻まれている。