スーツアクターから財前五郎へ――唐沢寿明、芝居の鬼の四十年
ヒーローの着ぐるみの中に、汗だくになって入っていた青年がいた。顔は映らない。名前も出ない。それでも体ひとつでアクションをこなし、芝居の基礎を体で覚えていった。
その青年が、やがて日本中を震わせる冷徹な医師を演じ、子どもたちが大好きなカウボーイ人形の声になる。唐沢寿明。1963年、東京・台東区生まれ。学歴も後ろ盾もないところから、ひたすら実力ひとつで第一線を走り続けてきた、稀代の役者の物語である。
台東区の少年、ブルース・リーに憧れて
1963年6月3日、東京都台東区に生まれる。三人兄弟の次男。地元の小中学校に通い、都立蔵前工業高校に進むが2年で中退。大学には進学していない。
中学時代に憧れたのはブルース・リー。アクションと格闘技への熱が、彼の進路を決めた。1979年、東映アクションクラブに入所し、特撮番組のスーツアクターとして映像の世界に足を踏み入れる。少林寺拳法やスタントアクションを得意とするのは、この修行期の賜物だ。華やかなスポットライトとは無縁の、地道な下積みからの出発だった。
1987年、初舞台――そして山口智子との出会い
1987年、三生社に所属し、博品館劇場『ボーイズレビュー・ステイゴールド』で初舞台を踏んで俳優デビュー。スーツアクターから、表に立つ役者への転身である。
翌1988年にはNHK連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』に出演。この現場で、後に妻となる女優・山口智子と出会う。そして1992年、フジテレビ系『愛という名のもとに』でブレイク。同年の『おいしい結婚』などの演技で第15回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞し、一気に注目の俳優となった。
財前五郎――社会現象になった医師
彼の名を不動のものにしたのが、2003年フジテレビ系ドラマ『白い巨塔』の主演だった。野心にまみれた外科医・財前五郎。出世のために手段を選ばないその男を、唐沢は涼しい顔で、しかし内に煮えたぎる熱を秘めて演じきった。ドラマは社会現象的な高視聴率を記録した。
その間にも実績を積み重ねていた。1997年には映画『ラヂオの時間』で第21回日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞。2008年には芸術選奨文部科学大臣新人賞(演劇部門)を受け、舞台俳優としても評価を確立。2009年『不毛地帯』、2014年『ルーズヴェルト・ゲーム』と、骨太な主演作を重ねていった。
もうひとつの代表作――ウッディの声
冷たい医者を演じる一方で、彼にはまったく違う顔がある。1996年から続くディズニー/ピクサー『トイ・ストーリー』シリーズで、彼はカウボーイ人形ウッディの日本語吹替を担当している。
優しくて、ちょっと頼りなくて、でも仲間思いのお父さん的なウッディ。あの財前五郎と同じ人が声を当てているとは、にわかには信じがたい。冷酷な野心家から温かいヒーローまで、声と表情で自在に行き来する振り幅こそ、唐沢寿明という役者の凄みだ。江口洋介とは『愛という名のもとに』『白い巨塔』をはじめ何度も共演し、名コンビとしても知られる。
人物像――おしどり夫婦と、妙に庶民的な好物
1995年、女優・山口智子と結婚。子どもは持たないという二人の選択を貫き、何十年もおしどり夫婦であり続けている。浮き沈みの激しい芸能界で、これほど安定した夫婦関係を保つのは並大抵のことではない。
意外なのはその素顔だ。甘いものが苦手で、好物は納豆、ハンバーグ、餃子。趣味は映画・テレビ鑑賞、そして自動車で、ホンダ・NSXを複数台所有している。第一線の俳優でありながら、どこか妙に庶民的な親しみやすさが同居している。
スーツアクターという、顔も名前も出ない場所から始め、財前五郎で頂点に立ち、ウッディで子どもたちに愛される。学歴や後ろ盾ではなく、ひたすら実力で四十年近く第一線にあり続けてきた。
派手に立ち回らずとも、役の中で確かな仕事をする。唐沢寿明とは、そんな「芝居の鬼」の、静かで揺るぎない四十年の物語である。