カメラが回った瞬間に別人になる女優——大竹しのぶという現象
日本に俳優は数多くいる。けれど「演技そのものが事件になる人」となると、その数はぐっと絞られる。大竹しのぶは間違いなくその一人だ。1957年7月17日、東京都品川区に生まれた彼女は、十代の終わりに芸能界に飛び込み、半世紀以上にわたって日本の映画・舞台・テレビの最前線に立ち続けてきた。
普段の彼女を知る人は、よく笑い、よく喋る気さくな人物だと口を揃える。だが、ひとたびカメラが回り、舞台の幕が上がると、その人物は跡形もなく消える。残るのは、役そのものとして生きる別の人間だ。この「切り替え」の凄みこそが、大竹しのぶを長く第一線にとどめてきた最大の理由である。
彼女の歩みは、賞という記録だけでも説明がつくが、それだけでは足りない。物語として追ってこそ、その異様な才能の輪郭が見えてくる。
一般公募から始まったキャリア
1973年、大竹しのぶはテレビドラマ『ボクは女学生』で芸能界デビューを果たす。きっかけは、フォーリーブスの北公次が主演するドラマの相手役を一般公募するオーディションだった。狙って役者になったというより、扉が開いたところへ歩み出た、という始まり方だ。
転機は早かった。1975年、映画『青春の門 筑豊編』でヒロインを射止め、本格的な映画デビューを果たす。同じ年、NHK連続テレビ小説『水色の時』のヒロインに抜擢され、一気に全国区の知名度を得た。東京都立小岩高等学校を経て桐朋学園大学短期大学部の演劇専攻科に進んだ彼女は、結局その学業を中退している。学校で学ぶより先に、現場が彼女を必要としていた。
主演と助演を同時に獲った夜
大竹しのぶの名を「天才」の領域に押し上げた出来事が、デビューからわずか数年で起きる。1978年、第2回日本アカデミー賞で、彼女は映画『事件』により最優秀主演女優賞を、映画『聖職の碑』により最優秀助演女優賞を、同じ年に同時受賞してしまった。
主演女優賞と助演女優賞を同一年に獲った女優は、日本アカデミー賞の歴史において彼女だけである。同じ年、NHK-FMのラジオドラマ『海鳴り』では芸術祭賞ドラマ部門優秀賞も手にしている。映画でもラジオでも、媒体を問わず観る者・聴く者を捕まえる——二十代前半にして、彼女はもうそういう俳優だった。
私生活という嵐、それすら糧に
表現の凄みと並走するように、私生活もまた激しかった。1982年、TBSのドラマディレクター・服部晴治と結婚。1985年に長男・二千翔をもうける。だが1987年、夫・服部晴治は他界する。同じ頃、彼女は『男女7人夏物語』『男女7人秋物語』といった大ヒットドラマで茶の間の顔にもなっていた。
1988年には明石家さんまと再婚し、翌1989年に長女・IMALUが誕生する。しかし1992年に離婚。二人の子の親権は彼女が持った。世間の好奇の目にさらされ続けた歳月だが、彼女はその喜怒哀楽すべてを役の深さへと変えていったように見える。痛みを抱えた人間しか出せない説得力が、その後の演技には宿っていた。
円熟が頂点を更新し続ける
多くの俳優が若さとともに勢いを失うなか、大竹しのぶはむしろ年齢を重ねるごとに領域を広げた。1999年の映画『鉄道員(ぽっぽや)』で再び日本アカデミー賞最優秀主演女優賞に輝き(2000年の第23回授賞式)、2003年には映画『阿修羅のごとく』でモスクワ国際映画祭最優秀女優賞を受賞。海外の審査員をも黙らせた。
同じ2003年には読売演劇大賞最優秀女優賞、2004年に芸術選奨文部科学大臣賞、2011年には紫綬褒章を受章。舞台でも『欲望という名の電車』の主演などで圧倒的な存在感を放ち、2017年には映画『後妻業の女』でブルーリボン賞主演女優賞、2019年には菊田一夫演劇大賞を受けた。スクリーン、舞台、テレビ——どこにいても、彼女は常に主役級の重さを背負える俳優であり続けている。
2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも出演し、デビューから半世紀を経てなお現役のまま物語の中心近くにいる。普段はケラケラ笑う気さくな人が、本番では観る者を泣かせ、終われば平然と素に戻る——この落差こそが大竹しのぶの正体だ。
日本の女優史を語るとき、彼女を避けて通る道はない。技術と本能が同居し、人生の痛みすら表現に転化してしまうこの人を超える存在を探すのは、当分のあいだ難しいだろう。