160センチの夢想家が、兆を動かす——孫正義と「志高く」の50年

19歳の若者が、真顔で「人生50年計画」を立てる。20代で名を成し、30代で軍資金を貯め、40代でひと勝負し、50代で事業を完成させる——そんな途方もない設計図を、酒の席の大言壮語ではなく、本気で書いた人間がいた。
佐賀県鳥栖市に生まれ、身長160センチ。世界の名だたる経営者の前に立っても、一ミリも臆さずに「でっかく考えなさい」と言ってのける。孫正義。一兆円、三兆円といった買収を、まるで自販機で飲み物を買うような身軽さで決断してきた男だ。
その原動力にあるのは、座右の銘でもある四文字——「志高く」。彼の半生は、この言葉をどこまで現実にできるかの、長い実験そのものだった。
鳥栖からバークレーへ
孫正義は1957年8月11日、佐賀県鳥栖市に生まれた。久留米大学附設高校を中退し、若くしてアメリカへ渡る。1977年にはカリフォルニア大学バークレー校に入学。在学中から起業の才を発揮し、事業の売却で資金を蓄えたという。
1980年、バークレー校経済学部を卒業。学業と並行して未来を見据えていた彼にとって、帰国後に待っていたのは、自らの手で会社を立ち上げるという当然の次の一歩だった。
日本ソフトバンク創業——1981年の出発点
1979年に大野優美と結婚し、家庭を持った孫は、1981年、日本ソフトバンク株式会社を設立する。これが、後に世界を相手にするソフトバンクグループの出発点となった。
創業から十数年、彼は着実に足場を固めていく。1994年にはソフトバンク株式を店頭公開し、同時期にヤフー株式会社の設立に参画。インターネットという新しい大陸が立ち上がろうとしていたまさにその時、彼はすでにそこに賭けていた。
兆を動かす買収の連続
2000年代に入ると、孫正義のスケールは桁違いになる。2001年には日本テレコムを傘下に収め、ヤフーBBとしてブロードバンドサービスを開始。低価格のモデムを街頭で配り、日本のインターネット普及を一気に押し進めた。
そして2006年、ボーダフォン日本法人を約1兆7500億円で買収し、携帯電話事業に本格参入する。さらに2016年には、英国のARMホールディングスを約3兆3000億円で買収。半導体設計の中核を握るこの買収は、彼が次の時代——あらゆる機器がつながる世界——を見据えていたことを示している。一兆、三兆という数字を、彼はためらわずに動かしてきた。
「志高く」を支える言葉たち
孫正義の行動の根には、いくつもの言葉がある。座右の銘は「志高く」。経営学者・野田一夫からこの教えを受けたとされ、本田宗一郎や織田信長を理想の人物として公言してきた。
「本当の勇気は周到な用意の元に生まれる。用意の無い勇気を蛮勇という。」——大胆さと無謀さを、彼は明確に区別する。「大きく考えなさい。大胆に考えて。目一杯のパッションで達成しなさい。」という言葉にも、夢の大きさと、それを実現する熱量の両方を重んじる姿勢がにじむ。失敗を重ねながらも、コケるたびに前より大きな夢を持ってくる——その前向きさこそが、彼を彼たらしめている。
経営者を超えて——次世代と未来への投資
彼の歩みは、自社の経営だけにとどまらない。2004年には福岡ソフトバンクホークスの取締役オーナーに就任し、球団経営を通じて地域とファンの心をつかんだ。2017年には孫正義育英財団を設立し、才能ある若者の支援に乗り出している。
その評価は世界にも届く。Forbes誌の「世界で最も影響力のある人物」に複数回選ばれ、2017年にはThe Asian Awardsで最優秀起業家賞を受賞。2024年にはTIME誌の「AIで最も影響力のある100人」に名を連ねた。人工知能という新しい大波の前でも、彼はまた「まだこれからや」と前を見ている。
160センチの小柄なおっちゃんが、世界中の巨大企業を相手に夢を語り、兆の単位で勝負を仕掛ける。失敗もすれば批判も浴びる。それでも、あのギラギラした目で「まだ全然これからや」と言われると、聞いている側まで何かやれそうな気がしてくる。
19歳で立てた「人生50年計画」を、本当に走り切ってきた男。その人を巻き込む力こそが、孫正義という起業家の最大の資産なのかもしれない。