ヒゲの殿下 ― 物言う皇族、寬仁親王の生き方

皇室の一員でありながら、人々から親しみを込めて「ヒゲの殿下」と呼ばれた人がいた。寬仁親王。立派なおヒゲと、肩書きに似合わぬ率直な物言いで、遠い存在であるはずの皇族を、どこか身近な人として感じさせた方である。
1946年1月5日、神奈川県葉山町に生まれ、2012年6月6日にその生涯を閉じた。山羊座、戌年。オックスフォード大学モードリン・カレッジで学んだ国際派でありながら、決して偉ぶることなく、人の輪のなかへ自ら飛び込んでいった。
大勲位菊花大綬章、イタリア共和国功労勲章大十字騎士章。重い勲章を受けた人でありながら、その素顔は、近所にいたら気軽に話せそうな、愛嬌のある人だったという。
オックスフォードに学んだ国際派
寬仁親王は、英国の名門オックスフォード大学モードリン・カレッジで学んだ。皇族として国際的な視野を身につけ、海外との橋渡しにも貢献していく素地は、この時期に培われたのだろう。
だが学識を鼻にかけるところは、まるでなかったという。最高峰の教育を受けてなお、偉ぶらずに人と接する。その姿勢こそが、彼を「貴種」たらしめていた本質だったのかもしれない。
物言う殿下
皇族は、しばしば多くを語らない立場に置かれる。だが寬仁親王は違った。思ったことをはっきりと口にし、ときには文章まで書いて、自らの考えを世に問うた。
その率直さゆえに「物言う殿下」と呼ばれた。お堅い肩書きの裏にある、人間味あふれる飾らなさ。立場に縛られすぎず、自分の言葉を持ち続けたその姿は、多くの人の記憶に残っている。
福祉とスポーツに注いだ情熱
寬仁親王が長く力を注いだのが、福祉とスポーツの普及だった。とりわけ障害のある人々のために、本気で動き、汗を流した。
これは肩書きだけで務まる活動ではない。地道で、目立たず、長い時間を要する仕事である。それでも彼は継続した。称号を飾るためではなく、本当に人のために動こうとした人だったことが、その歩みからうかがえる。
病を隠さず、最後まで気概を
晩年、寬仁親王は自らの病について隠すことなく公にした。皇族という立場にありながら、病をオープンに語り、向き合う姿勢を最後まで貫いた。
その正直さと気概は、多くの人の胸を打った。弱さを覆い隠すのではなく、ありのままを見せる強さ。2012年、66年の生涯を閉じるまで、彼は最後まで自分らしくあり続けた。
立派なおヒゲ、率直な言葉、福祉への情熱、そして病に向き合う気概。寬仁親王の人生をたどると、「貴種」という言葉が、血筋ではなく生き方を指す言葉に思えてくる。
オックスフォードまで学びに行ってなお偉ぶらず、人の輪に飛び込んでいったその姿。ヒゲの殿下は、肩書きではなく中身で人々に愛された、本物の貴種だったのだと思う。