キョンキョンの先にあったもの。小泉今日子、歳の重ね方の見本

「キョンキョン」――その愛称だけで、1980年代という時代の空気がよみがえる人は多いだろう。可愛らしさで一世を風靡したアイドルの代名詞であり、当時の少女たちの憧れであり、ブラウン管の中の太陽だった。
けれど、小泉今日子という人がほんとうに非凡だったのは、その絶頂のあとの身の振り方だ。アイドルというものを自ら茶化して歌い、その殻を一枚ずつ脱ぎ、やがて主演女優賞を獲るほどの俳優になり、果ては自分で会社まで立ち上げてしまう。
神奈川県厚木市に生まれた一人の女性が、自分の足でここまで歩いてきた。その軌跡を、確かな事実だけを頼りにたどってみたい。
神奈川・厚木から、ステージへ
小泉今日子は1966年2月4日、神奈川県厚木市に生まれた。水瓶座。神奈川県立津久井高等学校に学んだ、地方の高校生だった。
そこから彼女は歌手として世に出る。「私の16才」「まっ赤な女の子」「艶姿ナミダ娘」「渚のはいから人魚」――次々と世に放たれた楽曲は時代の記憶と分かちがたく結びつき、1984年にはゴールデン・アロー賞を受賞している。アイドルとして、まぎれもなく頂点を駆け上がった。
「なんてったってアイドル」という批評
彼女の真骨頂を象徴するのが、代表曲「なんてったってアイドル」である。アイドルが、アイドルという存在そのものを軽やかに茶化して歌う。この一曲に、小泉今日子の頭の作りの違いが凝縮されている。
可愛さで押し切るのではなく、自分という商品をどこか客観的に眺めているクールさ。それは当時としては実に粋で、新しかった。憧れの対象でありながら、その仕組みすら笑ってみせる――その距離感こそが、彼女を唯一無二の存在にしていた。
殻を脱いで、俳優へ
歳を重ねるごとに、小泉今日子はアイドルの殻をするりと脱いでいった。そして辿り着いたのが、芝居のできる俳優としての確かな評価である。2006年にはブルーリボン賞主演女優賞を受賞。アイドル出身という肩書きを軽々と超えていった。
その代表的な仕事のひとつが、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」だ。母親役として見せた貫禄は、かつてステージで弾けていた少女と同じ人物とは思えないほどの説得力をたたえていた。年月が、彼女の表現にいっそうの厚みを与えていったのだ。
表現者から、実業家へ
俳優・歌手という枠にも、彼女は収まらなかった。自ら会社を立ち上げ、実業家としての顔も持つようになる。演じる側、歌う側であると同時に、つくる側・営む側へ。
与えられた役を生きるだけでなく、自分の活動の場そのものを自分の手で設計していく。アイドルから俳優、そして実業家へ。その歩みは、誰かに用意された道をなぞるのではなく、一歩ずつ自分で選び取ってきた軌跡に見える。
キョンキョンと呼ばれた少女は、可愛さの絶頂に安住しなかった。アイドルを茶化し、殻を脱ぎ、賞に値する芝居を身につけ、ついには事業まで手がけた。
歳を取ることを、衰えではなく深まりに変えていく。神奈川・厚木から出てきた一人の女性のこの歩き方は、歳の重ね方のひとつの理想形のように見える。素直に拍手を送りたくなる、そんな存在だ。