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言葉にできない、その声――小田和正という永遠の現役

70歳をとうに超えても、あの澄んだ高音はまっすぐに伸びてくる。声帯にどんな魔法をかけているのか、聴くたびに不思議になる――それが小田和正だ。

1947年、神奈川県横浜市金沢区に生まれ、東北大学工学部を経て早稲田大学大学院で建築学を修めた理系のインテリ。そんな経歴の人が、日本の音楽史にもっとも甘く、もっとも誠実なメロディを残してきた。

オフコースのリーダーとして、そしてソロのシンガーソングライターとして。賞を狙わず、紅白にも出ず、ただ良い歌だけを作り続けてきた一人の男の半世紀を、ここでたどる。

工学部の学生が、コンテストで全国2位になるまで

聖光学院で中学・高校時代を過ごした小田和正は、東北大学工学部に進学する。その在学中の1969年、彼はオフコースを結成した。同年、ヤマハ・ライトミュージックコンテストの東北大会に出場し、全国大会で2位に入賞する。

これがプロへの扉を開いた。翌1970年4月、シングル「群衆の中で」でオフコースとしてプロデビュー。音楽の道へ進みながら、小田はのちに早稲田大学大学院理工学研究科で建築学の修士課程を修了している。論理と構造を学んだ頭脳が、やがて緻密で美しいメロディを生む土壌になった。

「さよなら」、そしてブレイク

1979年、オフコースはメンバーを5人に拡大し、「さよなら」が大ヒットを記録する。別れの情景を端正に描いたこの曲は、バンドを一気にブレイクへと押し上げた。続く1980年の「Yes-No」、1982年の「言葉にできない」と、オフコースは日本のニューミュージックを代表する存在になっていった。

「言葉にできない」というタイトルの曲を、これほど言葉で見事に表現してしまう――その矛盾めいた離れ業こそ、小田和正の真骨頂だった。

解散、そしてソロでの頂点

1982年に鈴木康博が脱退。同じ年の9月、小田は中学の同級生だった一般女性・新井恵子と結婚している。歌のままのロマンチストぶりだ。

1989年、東京ドーム公演を最後にオフコースは解散する。だが小田の歩みは止まらなかった。1991年、ソロシングル「ラブ・ストーリーは突然に」がフジテレビのドラマ「東京ラブストーリー」の主題歌となり、270万枚を超える大ヒットを記録。オリコン年間シングルチャート1位に輝いた。バンドを離れたソロの男が、日本中の恋の物語を背負ったのである。

商売っ気ゼロの、頑固な美学

小田和正は紅白歌合戦への不出演を貫くことで知られる。賞を狙いにいくこともない。ただ淡々と、良い歌だけを作り続ける。その一見不器用な姿勢が、かえって彼の音楽を澄んだものにしている。

1999年からは明治安田生命「ほんとうの物語。」シリーズに「言葉にできない」「たしかなこと」などの楽曲が使われ、世代を超えて愛される定番となった。2004年の「たしかなこと」もまた、彼の静かな誠実さがにじむ一曲だ。

永遠の現役

2008年には全国52公演に及ぶツアー「今日もどこかで」を、ドーム公演を含む大規模なかたちで実施。70歳を超えてなお全国を回り続けるその姿は、「永遠の現役」と称された。

歩みは今も止まらない。2022年にはオリジナルアルバム「early summer 2022」を、2024年にはベストアルバム「自己ベスト-3」を実に17年ぶりにリリースしている。その功績は、2009年の芸術選奨文部科学大臣賞、2015年の神奈川文化賞などにも刻まれている。

論理を学んだ理系の頭脳が、もっとも甘いメロディを書く。賞も流行も追わず、ただ歌だけを差し出し続けて、結果として270万枚を売る。不器用なのか天才なのか、もう判じがたい。

中学の同級生と結ばれ、今もずっと連れ添う。流行り廃りの激しい音楽の世界で、半世紀ぶれずに走り続けるその背中には、素直に憧れてしまう。「とにかくやってみようよ」――彼のその言葉が、いちばん彼らしい。