毎週、海を描き続ける男――尾田栄一郎と『ONE PIECE』という航海
熊本に生まれた一人の少年が、鳥山明を「神様」と仰ぎながら漫画家を夢見た。その少年は長じて、世界中の子どもたちに「夢の航海図」を配る側になった。尾田栄一郎、『ONE PIECE』の作者である。
一九九七年の連載開始から四半世紀以上。毎週、緻密な絵と幾重もの伏線を落とすことなく描き続けるその仕事は、もはや人間の所業を超えているとすら言われる。これは、海賊王を夢見た少年が、自ら世界記録を打ち立てるまでの物語だ。
熊本の少年、手塚賞へ
尾田栄一郎は一九七五年元日、熊本市に生まれた。漫画家になることを早くから志し、その夢は高校在学中に最初の形をとる。
一九九二年、東海大学第二高等学校に通っていた彼の短編「WANTED!」が、週刊少年ジャンプの手塚賞で準入選を果たす。高校生にしての快挙だった。翌一九九三年にも、短編「一鬼夜行」がホップ☆ステップ賞に入選。新人としての実力を、彼は早くから証明してみせていた。
大学を中退、上京、そしてアシスタント時代
一九九四年、尾田は九州東海大学工学部建築学科を中退し、漫画に賭けるために上京する。安定した進路を捨てての決断だった。
東京では、甲斐谷忍、徳弘正也、和月伸宏といった先輩漫画家のもとでアシスタントを務めた。プロの現場で技術を磨きながら、彼は自分の物語を温めていく。この修業時代に積み上げたものが、やがて世界を巻き込む大連載の土台となった。
「海賊王に俺はなる!」――『ONE PIECE』始動
一九九七年、『週刊少年ジャンプ』三十四号より『ONE PIECE』の連載が始まる。ゴムのように伸びる少年モンキー・D・ルフィが「海賊王に俺はなる!」と叫ぶこの物語は、瞬く間に読者を巻き込んでいった。
一九九九年にはアニメ化もされ、人気は加速する。島ごと、勢力ごと、悪魔の実ごとに緻密に構築された世界観と、何年も寝かせてから回収される膨大な伏線。読者は毎回「うわ、繋がっていた!」と叫ばされ、まんまと尾田の手のひらの上で踊らされ続けることになる。
ギネス世界記録、五億部の航海
『ONE PIECE』の勢いは数字にも表れた。二〇一五年、「最も多く発行された単一作家によるコミックシリーズ」としてギネス世界記録に認定される。二〇二二年には世界累計発行部数が五億部を突破し、記録はさらに更新された。
漫画にとどまらず、映画でも『STRONG WORLD』(製作総指揮、興行収入四十八億円)、『FILM Z』(総合プロデューサー、六十八・七億円)、そして『FILM RED』と、尾田が深く関わった作品は次々と興行的成功を収めた。二〇一二年には第四十一回日本漫画家協会賞大賞も受賞している。
ルフィの名で、故郷へ
二〇一六年、熊本地震が故郷を襲ったとき、尾田は復興支援として八億円を寄付した。その名義は、自身が生み出した主人公「モンキー・D・ルフィ」だった。
自分の描いたキャラクターを本気で誇りに思い、その名で故郷を助ける――この一事に、彼の人柄がすべて表れている。二〇一八年には熊本県民栄誉賞を受賞。鳥山明に憧れた一人の少年は、いつしか地元の誇りそのものになっていた。
二〇〇四年に元モデル・女優の稲葉ちあきと結婚し、二人の娘の父でもある尾田栄一郎。家庭を持ちながらも、彼は今なお毎週、海原を描き続けている。
鳥山明を「神様」と仰いだ少年が、今度は世界中のチビっ子たちに夢の航海図を配る側になった。夢の話は、案外ほんとうになる――『ONE PIECE』という終わらない航海は、そのことを静かに証明し続けている。