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庵野秀明——少年が愛したものを、大人が本気で作り直すという生き方

庵野秀明(アニメ監督・映画監督)の写真

山口県宇部市に生まれた一人の少年がいた。アニメに夢中になり、ウルトラマンや怪獣に胸を躍らせ、戦艦の模型を並べて飽きもせず眺めていた、ごくありふれた特撮少年。だが、その少年は決して「卒業」しなかった。むしろ、子どもの頃に好きだったもの全部を、大人になってから途方もない執念で作り直し始めた。

庵野秀明。1960年5月22日生まれ。『新世紀エヴァンゲリオン』という一作で日本のアニメ史を書き換え、その後も『シン・ゴジラ』『シン・仮面ライダー』と、かつて自分を熱狂させた世界を次々と現代に蘇らせてきた。趣味と仕事の境界が消失した、稀有な作り手の物語である。

自主制作から始まった原点

庵野のキャリアは、商業の現場ではなく、仲間との手作りの現場から始まった。1981年、彼はDAICON FILMという自主制作グループの一員として、第20回日本SF大会のためのオープニングアニメを制作する。プロでもアマでもない、ただ好きという熱量だけで動く集団。そこで磨かれた感覚が、後の彼の全作品の土台になった。

大阪芸術大学の映像計画学科に在籍するも中退。型にはまった教育より、自分の手を動かすことを選んだ人間だった。1984年には『風の谷のナウシカ』に原画として参加し、宮崎駿という巨人の現場で腕を試す。同年、仲間とともにガイナックスの設立に加わり、1988年のOVA『トップをねらえ!』でついに監督デビューを果たした。

エヴァンゲリオンという社会現象

1995年、TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の放送が始まる。巨大ロボットものの体裁をとりながら、その中身は人間の孤独、コミュニケーションの恐怖、そして自己と他者の境界をめぐる極めて内省的な物語だった。

「逃げちゃだめだ」——主人公・碇シンジが自らに言い聞かせるこの台詞は、作品の枠を超えて多くの人の心に刺さった。「エヴァの呪縛」「人類補完計画」といった独自の用語が世間の流行語となり、社会現象という言葉がふさわしい広がりを見せる。1997年には第18回日本SF大賞を受賞。難解だと言われ続けながらも、何十年も語り継がれ、議論され続けているという事実こそが、この作品の途方もない力を物語っている。

スタジオカラーと「シン」の時代

2006年、庵野は株式会社カラー(スタジオカラー)を設立し、代表取締役社長に就任する。翌年から始まった『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズで、彼は自らの代表作にもう一度向き合い、2021年の『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』でついに長い物語に決着をつけた。

その間、2016年には実写映画『シン・ゴジラ』を総監督・脚本として手がける。巨大不明生物の襲来に対し、右往左往しながらも職務を全うしようとする官僚たちを克明に描いたこの作品は、第40回日本アカデミー賞の最優秀作品賞・最優秀監督賞を受賞。2023年には『シン・仮面ライダー』を発表し、少年時代に憧れたヒーローまでも自らの手で現代に立ち上がらせた。

妙なこだわりが作品ににじむ

庵野という人間を語るとき、その独特なこだわりを抜きには語れない。肉も魚も一切口にせず、植物性の食品しか食べない。動く生き物全般を食べないという徹底ぶりだ。飼い猫には「マイティジャック」「マイティサリー」と、敬愛する特撮作品にちなんだ名前をつけている。

2002年には漫画家の安野モヨコと結婚。完璧主義でスタッフを困らせるという噂は絶えないが、それは「これでいい」を決して言わない姿勢の裏返しでもある。一つひとつの妙なこだわりが、そのまま作品の濃密なディテールへと変換されていく。2022年には令和4年春の紫綬褒章を受章し、その功績が公に讃えられた。

不器用なほどに、好きなものへまっすぐな人だ。子どもの頃に夢中になったアニメも特撮も怪獣もヒーローも、すべて自分の手で本気で作り直す——その執念が、観る者の心臓を鷲掴みにする映像を生み続けている。

趣味と仕事の境目はとうに消えた。だからこそ庵野秀明の作品には、計算では決して届かない熱がある。少年のままの目で世界を見つめ続ける限り、彼はこれからも私たちを驚かせ続けるのだろう。