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言葉でつながる妃殿下――憲仁親王妃久子、肩書きの奥にある好奇心

憲仁親王妃久子(翻訳家・児童文学作家)の写真

皇室の一員という立場には、ある種の沈黙が宿っている。公の場で姿を見せ、儀礼をこなし、けれど自身の言葉を多く語ることはない。そんなイメージのなかで、憲仁親王妃久子は少し違う光を放っている。

1953年7月10日、東京・白金に生まれた彼女は、妃殿下という肩書きを背負いながら、翻訳家として、そして児童文学作家として、地道に言葉と向き合い続けてきた。華やかな式典の影で、ひとり原稿に向かう姿を想像すると、この人の輪郭が少しだけ立体的に見えてくる。

なぜ、用意された静かな役割に収まることなく、自分の言葉で社会とつながろうとしたのか。その答えは、彼女の歩んできた道のなかにそっと置かれている。

白金に生まれて

彼女が生まれたのは東京都の白金。落ち着いた品格をまとう街で育ち、やがて皇室の一員となる人生が待っていた。

生年は1953年、星座は蟹座、干支は巳。公開されている情報は決して多くない。血液型も身長も、家族のことも「非公開」の二文字が並ぶ。皇室という立場ゆえの、当然の慎ましさである。だからこそ、わずかに開かれた窓――翻訳や児童文学という仕事――から覗く彼女の素顔が、いっそう印象に残る。

大阪芸術大学という選択

彼女の経歴のなかで、ひときわ目を引くのが学びの場だ。学んだのは大阪芸術大学。東京の上品な街で育った妃殿下が、芸術の畑へと足を踏み入れた事実は、ささやかな、しかし確かな意外性を持っている。

きらびやかな上品さの奥に、表現というものへの渇望があった。そう考えると合点がいく。整えられた所作の内側に、何かを作り、誰かに届けたいという芯と好奇心が宿っていた。その芯が、のちの言葉の仕事へとまっすぐつながっていく。

翻訳家として、児童文学作家として

彼女の肩書きには、妃殿下という言葉と並んで「翻訳家」「児童文学作家」が刻まれている。

翻訳とは、ある言葉を別の言葉へと橋渡しする、地味で根気のいる作業だ。児童文学もまた、華やかさとは縁遠い。子どもという、もっとも正直で、もっともごまかしの効かない読者に向き合う仕事である。皇室の一員でありながら、彼女はそうした派手さのない領域を選んだ。肩書きにふんぞり返るのではなく、ひとつひとつ言葉を紡ぐ。その姿勢には、人に何かを本気で届けたいという静かな意志が滲んでいる。

並んだ勲章、その奥にあるもの

彼女のもとには、そうそうたる栄誉が寄せられている。勲一等宝冠章。そして2008年には、スペインからイサベル・ラ・カトリカ勲章大十字章を受けている。

国境を越えて贈られる勲章は、その活動が広く認められてきた証である。けれど、彼女という人物の魅力は、おそらく勲章の輝きそのものにあるのではない。むしろ、そうした栄誉とは別のところで――自分の言葉と表現を通して、地に足のついた形で社会と関わろうとし続けたことにこそある。

前に出ない人の強さ

彼女はあまり前に出るタイプではない。だから、いま何をしているのか、外からは分かりにくい。

しかし、静かに筋を通して働き続ける人というのは、まさにこういう人のことを指すのではないだろうか。スポットライトを奪いにいくのではなく、自分の選んだ場所で、こつこつと言葉に向き合う。派手さがないぶん見落とされがちだが、その継続そのものが、何より雄弁にこの人の人柄を語っている。

皇室の妃殿下でありながら、翻訳家・児童文学作家として静かに言葉を紡ぎ続ける――その生き方は、肩書きの大きさで人を測る私たちに、別のものさしを差し出してくる。

栄誉や立場ではなく、何を、どう、誰に届けようとしてきたか。憲仁親王妃久子という人を見るとき、いちばん拍手を送りたくなるのは、その一点なのだ。