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ふざけて生きようよ――所ジョージ、肩の力を抜いたまま頂点に立った男

売れれば売れるほど、人はギラギラしていくものだ。けれど、芸能界に一人だけ、その法則から完全に外れた男がいる。所ジョージ。シンガーソングライターとしてデビューしたかと思えば、司会も俳優も声優もこなし、気がつけば自宅のガレージで一日中バイクをいじり、畑を耕している。

1955年1月26日、埼玉県所沢市に生まれた。本名は芳賀隆之(出生名・角田隆之)。地名そのものを芸名に背負ったこの男は、半世紀近くにわたって第一線に立ち続けながら、一度も「肩肘張った大人」になることがなかった。

「ふざけて生きようよ」。彼が真顔で言ってのけるこの言葉こそ、所ジョージという人物のすべてを物語っている。

ボーヤから始まった音楽の道

所ジョージの出発点は、笑いではなく音楽だった。東京・小平市の錦城高等学校を経て拓殖大学商学部に進むが、学費未納により除籍。その後、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのボーヤ(付き人)として下積みを経験し、渋谷のライブハウス「渋谷ジァン・ジァン」で前座を務めながら、音楽の世界へと足を踏み入れていく。

1977年、シングル「ギャンブル狂想曲/組曲 冬の情景」でシンガーソングライターとしてデビュー。同じ年、ニッポン放送「オールナイトニッポン」のパーソナリティに抜擢される。「まったくやる気がございません」といった脱力した楽曲は、彼の飄々とした人柄をそのまま音にしたようなものだった。

「シンガーソングコメディアン」の誕生

1979年、テレビ東京「ドバドバ大爆弾」の司会を務めると、所ジョージはタレントとして一気に広く知られるようになる。音楽から始まった彼のキャリアは、ここでひとつの転機を迎えた。歌い、語り、笑わせる――どのジャンルにも収まらないその佇まいは、やがて「シンガーソングコメディアン」という独自の肩書きで呼ばれるようになる。

1981年には芳賀文子さんと結婚。のちに二人の娘(長女・さやか、次女・遼子)にも恵まれた。1990年代に入ると「所さんのただものではない!」をはじめとする冠番組が次々と増え、人気タレントとしての地位を確固たるものにしていった。

黒澤明に見出された俳優の顔

所ジョージのキャリアで見落とせないのが、俳優としての評価だ。1993年、巨匠・黒澤明監督の映画「まあだだよ」に出演。翌1994年、この演技で第17回日本アカデミー賞優秀助演男優賞、そして第36回ブルーリボン賞助演男優賞を同時に受賞する。バラエティーの顔として親しまれていた彼が、映画の世界でも本物の評価を勝ち取った瞬間だった。

同じ1994年には、TBSドラマ「私は貝になりたい」のリメイクに主演。さらに1996年には映画「トイ・ストーリー」でバズ・ライトイヤーの日本語吹替を担当し、2008年にはスタジオジブリ「崖の上のポニョ」でフジモト役を演じるなど、声優としても多くの人の記憶に残る仕事を重ねていった。

世田谷ベースという聖地

所ジョージを語るうえで欠かせないのが、自宅兼ガレージ「世田谷ベース」だ。2006年からは同名の番組「所さんの世田谷ベース」も始まり、車やバイク、アメリカングッズ、雑貨に囲まれたこの空間は、趣味人たちの聖地として広く知られるようになった。

彼の趣味のスケールは桁外れだ。車は累計80台以上、ハーレーダビッドソンをはじめとするバイクは累計43台以上、合わせて100台を超えると伝えられる。ガンコレクション、畑仕事、雑貨収集まで含めれば、もはや「趣味」という言葉では収まりきらない。それでいて本人はニコニコしながら「ええやんか別に」と受け流す。誰もこの余裕には勝てない。

肩書きより「楽しんでいるか」

これだけのキャリアを積み重ねながら、所ジョージには偉そうな空気が一ミリもない。彼が大切にしているのは、肩書きでも実績でもなく、「楽しんでいるかどうか」というただ一点だ。「ふざけて生きようよ」という人生観は、多くの人の共感を呼び、見ているこちらの肩の力までふっと抜けていく。

その姿勢は晩年になっても変わらない。2024年には第66回日本レコード大賞で作曲賞を受賞。新浜レオンへ提供した楽曲「全てあげよう」が高く評価された。デビューから半世紀近くを経てなお、音楽の世界で新たな評価を受けるあたりに、肩の力を抜いたまま走り続けるこの男の底力がにじんでいる。

シンガーソングライター、司会者、俳優、声優、そして稀代の趣味人。所ジョージという人物は、ひとつの肩書きに収まることを最初から拒んでいる。普通なら、これだけ売れればどこかで肩肘を張ってしまうものだ。けれど彼だけは、最後まで「楽しむこと」を手放さなかった。

ギラギラせず、偉ぶらず、ただ自分の好きなものに囲まれてニコニコしている。そんな所ジョージの生き方は、見る者に「こういう大人になりたい」と素直に思わせてくれる。肩の力を抜いたまま頂点に立った男は、これからも世田谷ベースのどこかで、楽しそうに何かをいじっているはずだ。