喋り続ける男――明石家さんま、笑いを止めない五十年
和歌山県東牟婁郡串本町に生まれ、奈良で育った一人の少年が、やがて「喋ること」だけで日本の茶の間の中心に居座り続けることになる。本名・杉本高文、芸名・明石家さんま。1955年7月1日に生まれた彼は、昭和・平成・令和という三つの時代をまたいで、ほとんど休むことなく日本人を笑わせてきた。
その芸歴は1974年、二代目笑福亭松之助への弟子入りから始まる。落語家としての出発点。しかし彼は古典芸能の枠におさまる人ではなかった。やがてテレビという新しい舞台へ飛び出し、即興のフリートークひとつで観客を惹きつける唯一無二の話芸を確立していく。
歯を見せて笑うあの顔。誰かの一言を拾い、膨らませ、落とすあの瞬発力。それはいつしか日本のお茶の間の「標準装備」になった。
落語家からタレントへ――芸名「明石家さんま」の誕生
さんまの芸の原点は落語にある。1974年、二代目笑福亭松之助に弟子入りし、笑福亭さんまとして落語家デビューを果たした。だが彼の才能は、座って一人で物語を語る古典の世界よりも、人とぶつかり合って瞬時に笑いを生み出す場でこそ輝いた。
1976年、彼はタレントへと転向し、芸名を「明石家さんま」に改める。この改名は、伝統芸能の徒弟制度から、テレビという即興と瞬発力の世界へ踏み出す決意でもあった。ここから、台本があってもなくても面白いという、彼の反則的な話芸の歴史が本格的に動き出す。
『ひょうきん族』と栄光の80年代
1980年代の初め、『オレたちひょうきん族』の主要レギュラーとなる。当時のお笑い界を席巻したこの番組で、さんまはその才能を全国区へと押し上げた。
1986年は飛躍の年だった。ドラマ『男女7人夏物語』で主演を務め、お笑いの枠を超えた人気を獲得。同じ年にゴールデン・アロー賞芸能賞を受け、翌1987年には日本放送演芸大賞の大賞に輝いている。喋りの技術が、名実ともに国民的なものとして認められた瞬間だった。
司会者・さんま――「御殿」という発明
1997年に始まった『踊る!さんま御殿!!』は、彼の司会者としての才能を象徴する番組となった。ゲストの何気ない一言を逃さず拾い、笑いに変えていくその進行は、もはや一つの芸の様式である。2009年からの『ホンマでっか!?TV』でも、専門家たちの話を絶妙にいじりながら回していく手腕を見せた。
特筆すべきは、これだけ喋り倒しながら、人の悪口で笑いを取ろうとしないことだ。毒ではなく、相手を立てながら笑いに変える。その懐の深さが、半世紀にわたって愛され続ける理由でもある。
俳優・さんまと、受け継がれた言葉
2003年、ドラマ『さとうきび畑の唄』に主演。この作品で文化庁芸術祭テレビ部門大賞を受賞した。笑いの人が、シリアスな演技でも観る者の心を動かせることを証明した一作である。
座右の銘は「生きてるだけで丸儲け」。軽やかに聞こえるこの言葉は、実は娘IMALUの名の由来でもある。軽そうでいて、実は人生の核心を突いている――さんまという人を、これほどよく表す言葉もない。
1988年に大竹しのぶと結婚し、1992年に離婚。私生活には起伏もあった。それでも彼は喋ることをやめなかった。タモリ、ビートたけしと並んで「お笑いBIG3」と称され、今なお第一線で笑わせ続けている。
人類の省エネ設計の例外のような、止まらないエンジン。歯を見せて笑うあの顔が見られるかぎり、日本の茶の間はきっと安泰だ。