celeb-db
English

闘将・星野仙一――倉敷から吠え続けた、不器用なほどの愛の男

星野仙一(プロ野球選手・野球監督)の写真

ベンチで仁王立ちし、選手の尻をバチーンと叩いて発破をかける。グラウンドで吠える背中。「闘将」と呼ばれた男、星野仙一を思い出すとき、多くの人の胸にまず浮かぶのは、その熱量だろう。

岡山県倉敷市に生まれた一人の青年は、現役のピッチャーとしてバリバリ投げ、引退後は監督として伝説を重ね、さらには歌まで歌った。人生を二度、いや三度味わったような濃さがある。2018年に世を去った彼の足跡を、確かな事実とともにたどってみたい。

倉敷に生まれて

星野仙一は1947年1月22日、岡山県倉敷市に生まれた。星座は水瓶座、干支は亥。身長は180センチと、当時としては堂々たる体格だった。

岡山県立倉敷商業高等学校を経て、明治大学へと進学。野球の名門で腕を磨いた彼は、やがてプロの世界へと足を踏み入れていく。地方の街から出てきた青年が、日本の野球史に名を刻むまでの物語は、ここから始まる。

現役、そして監督へ

星野仙一はプロ野球選手としてピッチャーを務め、その投球には持ち前の闘志がにじんでいた。だが、彼の名をより大きく不滅のものにしたのは、現役を退いた後の監督としての姿だった。

選手としての実績も確かなものだったが、監督・星野仙一はそれを上回る存在感を放った。人生で一度成功した男が、舞台を変えてさらに大きな伝説をつくる――そうそうあることではない。彼はまさに、その稀有な道を歩いた一人だった。

熱さの正体

仁王立ちのベンチ、選手を叩いて発破をかける指導――いまの時代の物差しで測れば、議論を呼ぶ場面もあったかもしれない。それでも周囲が彼についていったのは、なぜか。

その熱さの根っこには、不器用なほどの愛があった、と多くの人が振り返る。怒鳴り声の奥に、選手一人ひとりへの大きな情があったからこそ、人は彼の背中を追った。強面でありながら、どこか憎めない――それが星野仙一という人間だった。

歌う闘将

意外なことに、星野仙一は歌も歌った。あの強面の「闘将」が、野球とは別の場所で歌声を披露する。そこには、人を楽しませようとするサービス精神がにじんでいた。

グラウンドでの厳しさと、マイクの前での茶目っ気。その振れ幅もまた、彼の人間的な魅力の一部だったと言っていい。ただ怖いだけの指揮官ではなかったのだ。

殿堂入りという証

星野仙一は、日本の野球殿堂入りを果たしている。プロ野球の世界で長く貢献し、後世に残る功績を遺した者に贈られる、この上ない栄誉だ。

選手として、監督として、そして一人の人間として――彼が野球というスポーツに刻んだものの大きさを、殿堂入りという事実が静かに物語っている。

2018年1月4日、星野仙一はこの世を去った。だが、グラウンドで吠えていたあの背中を覚えている人は、いまも少なくない。倉敷の街から出てきて、ピッチャーとして、監督として、そして時には歌い手として駆け抜けた生涯は、まさに濃密の一語に尽きる。

不器用なほどの愛で人を動かした「闘将」。その熱は、彼を知る者の胸の内で、今もまだ消えずにくすぶり続けている。