celeb-db
English

卒業文集に「世界一」と書いた男――本田圭佑、止まらない人生

本田圭佑(サッカー選手・実業家)の写真

1986年6月13日、大阪府摂津市に生まれた本田圭佑。彼を語るうえで欠かせないのが、小学生の卒業文集に「世界一になる」と臆面もなく書き記したという逸話だ。

普通なら笑い話で終わるその「大言壮語」を、本田はサッカーの世界で本当に実現してみせた。ACミランで背番号10を背負い、ワールドカップ3大会連続でゴールを決め、日本代表の中盤を圧倒的な自信とともに支配した。

そして現役を続けながら、カンボジア代表の監督業に、数百社への投資に、ブータンのリーグへの挑戦にまで手を広げる。これは、一瞬たりとも立ち止まらない男の物語である。

摂津のガキんちょ、星稜へ

本田は大阪府摂津市の出身。地元の鳥飼北小学校、第四中学校を経て、サッカーの名門・石川県の星稜高校へと進んだ。大学には進学していない。

2004年、名古屋グランパスに入団試験を経てプロ入りを果たす。同年7月24日、ナビスコカップで公式戦初出場を飾った。翌2005年には星稜高校時代の高円宮杯全日本ユース選手権で準優勝を経験するなど、早くから将来を嘱望される存在だった。

海を渡り、世界の舞台へ

2007年、本田はオランダのVVVフェンロへ移籍し、海外でのキャリアをスタートさせる。そして2010年、ロシアの強豪CSKAモスクワへ。同年の南アフリカワールドカップでは、グループリーグで2ゴールを記録し、日本のベスト16進出に大きく貢献した。

翌2011年、AFCアジアカップで日本代表を優勝へと導き、大会MVPに輝く。海外クラブ所属の選手として初めて日本のフットボーラー・オブ・ザ・イヤーにも選ばれ、その評価は決定的なものとなった。2013年にはCSKAモスクワでロシア・プレミアリーグ優勝も経験している。

背番号10とキャプテンマーク

2014年、本田はイタリアの名門ACミランへ移籍。クラブの象徴である背番号10を背負うという、日本人にとって極めて重い栄誉を手にした。同年のブラジルワールドカップでは日本代表のキャプテンを務める。

その後も彼の挑戦は止まらない。メキシコのCFパチューカ、オーストラリアのメルボルン・ビクトリー、オランダのフィテッセ、ブラジルのボタフォゴ、アゼルバイジャンのネフチ・バクーと、世界中のクラブを渡り歩いた。常に新しい環境へ、より高い場所へと足を運び続けたのだ。

日本人初・3大会連続ゴール

2018年のロシアワールドカップ。本田はここで、日本人選手として初となるワールドカップ3大会連続ゴールを達成する。南アフリカ、ブラジル、ロシア――三つの大会で、彼は確かにネットを揺らした。

この大会を区切りに、本田は日本代表からの引退を表明する。世界の舞台で「世界一」を目指し続けた一人の選手の、代表としての旅がここで一つの節目を迎えた。だが、彼にとってそれは終わりではなく、次の挑戦の始まりにすぎなかった。

監督、投資家、そして現役――肩書を増やし続ける

驚くべきことに、本田は現役引退後もじっとしていなかった。2018年にはカンボジア代表のゼネラルマネージャー、実質的な監督に就任。選手と指導者を同時にこなすという前代未聞の挑戦に乗り出す。

2020年にはKSK Angel Fundを設立し、投資事業を本格化。200社を超えるスタートアップに資金を投じてきた。2024年にはブータンのパロFCと契約し、なんと10カ国目のリーグ戦に出場。同年、ベンチャーキャピタル「X&KSK」では153億円規模の資金調達を完了させた。「安定は僕の辞書にない言葉」と語る彼らしい、止まることを知らない歩みである。

「リスクのない人生なんて、逆にリスクだ」――本田圭佑の言葉は、そのまま彼の生き様を表している。摂津のガキんちょが文集に書いた「世界一」という夢は、サッカー選手としての成功にとどまらず、指導者として、投資家として、果てしなく広がり続けている。

「永遠に生きるかのように学べ。明日死ぬかのように生きろ」を座右の銘とする男は、今日もどこかで新しい挑戦に飛び込んでいるに違いない。