まっすぐ言い切る政治家——榛葉賀津也という人の輪郭

政治家の言葉は、しばしば霧のようだ。聞き終えても何を言われたのか分からない。官僚的な言い回しのなかに、賛成とも反対ともつかない含みだけが残る。そんな世界で、榛葉賀津也の話しぶりはどこか異質に映る。記者会見でも、彼は自分の言葉で、ズバッと言い切る。
1967年4月25日、静岡県菊川町(現・菊川市)に生まれた。静岡の田舎町から、やがてアメリカの大学へと渡り、再び日本の政治の中枢へ。その軌跡をたどると、肩書きよりも、彼の「言葉の温度」のほうが先に伝わってくる。
静岡の田舎町から、海を越えて
榛葉賀津也は静岡県菊川町に生まれた。茶畑の広がる、東海道の静かな町である。地元の静岡県立掛川西高等学校を卒業したのち、彼が選んだ進路は、当時としては珍しい道だった——アメリカのオッターベイン大学への進学である。
地方の高校から海外の大学へ。その選択そのものが、彼の好奇心と行動力を物語っている。異国の地で学び、考え、言葉を磨いた経験は、のちの「自分の言葉で語る」スタイルの土台になったのかもしれない。気取らず、地に足のついた感覚を失わなかったのは、生まれ育った静岡の土の記憶があったからだろう。
党の番頭役として
政治の世界に身を投じた榛葉は、やがて党の幹事長という重責を任されることになる。幹事長は、いわば党の「番頭」だ。表に立って演説するだけでなく、党内の調整、選挙の段取り、組織の運営——舞台裏の歯車を回し続ける役回りである。
口がうまいだけの政治家には務まらない。段取りを組み、人を動かし、組織を回せる実務能力があってはじめて任される地位だ。榛葉がこのポジションに就いたという事実そのものが、彼が「言葉の人」であると同時に「実務の人」でもあることを静かに証明している。
含みのない言葉、という稀少さ
政治の世界は、腹の探り合いだ。誰もがポーカーフェイスを崩さず、本音を霧の奥に隠す。そんななかで、榛葉の「含みのない言葉」は際立つ。
賛成も反対もはっきり口にし、難しい言い回しに逃げない。その姿勢は、見る人によって評価が分かれるだろう。だが少なくとも、彼が出てくると、政治の議論にわずかな風通しのよさが生まれる。是非はともかく、あれだけ真っ直ぐに言い切れる政治家がいることは、それ自体が一つの価値なのかもしれない。
榛葉賀津也について、公にされている事実は決して多くない。だが、その限られた輪郭からでも、一人の政治家の姿がくっきりと浮かび上がる——静岡の田舎町から海を越え、自分の言葉を手に入れ、党の番頭として歯車を回す人。
政治への評価は人それぞれだ。けれど、まっすぐ言い切る者がいることは、霧の多いこの世界において、確かに一つの灯りになっている。