片足の哲学――王貞治、868本に込めた静かな闘い

868本。世界記録となった通算本塁打数を、初めて聞いたときの戸惑いは、今でも消えない。しかもその一本一本を、フラミンゴのように片足を上げた独特の構えから放ったのだという。
筋力トレーニングの理論もなく、データ分析もない時代。あの細身の体のどこに、それだけの力が眠っていたのか。答えは才能だけではない。そこには、求道者と呼ぶほかない、徹底した鍛錬と精神があった。
長嶋茂雄が太陽のように派手な存在だとすれば、王貞治は静かに燃え続ける熾火だった。その生涯を追う。
墨田の下町から、背番号1へ
王貞治は1940年5月20日、東京都墨田区本所に生まれた。父・王仕福は中国・浙江省出身で、飲食店を営んでいた。六人兄弟の中で育った少年は、地元の小中学校を経て早稲田実業学校高等部へ進む。
大学には進学せず、高卒で1959年に読売ジャイアンツへ入団。与えられた背番号は「1」だった。だが、すぐに大スターになったわけではない。プロの壁は厚く、彼はしばらく、自分の打撃を見失ったまま苦しむことになる。
一本足打法という発明
転機は1962年に訪れる。打撃コーチの荒川博との出会いだった。荒川は王に、右足を高く上げて構える「一本足打法」を授ける。バランスを保つのは至難の業で、二人は日本刀まで持ち出して素振りを繰り返したと伝えられる。これはもはや野球の練習というより、武道の修行に近かった。
7月1日、王はこの打法を実戦で初披露する。以降、片足で立つあのシルエットは、日本野球を象徴する一枚の絵になった。発明と呼んでいい打撃スタイルが、ここに完成したのである。
756号、世界を抜いた夜
1977年、王はついにハンク・アーロンの持つ世界記録を超える、通算756号本塁打を放つ。日本中が沸いたこの偉業に対し、彼はその年、創設されたばかりの国民栄誉賞の第1号受賞者となった。
特筆すべきは、その振る舞いである。世界記録を抜いてなお、王は決して声高に誇らなかった。「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」。淡々と言ってのけるその静けさが、かえって彼の凄みを際立たせた。1980年に引退するまでに積み上げた通算868本塁打は、NPB歴代最多にして世界記録として、今も残る。
監督として、もう一度世界一
選手としての栄光に、王は満足しなかった。1984年に読売ジャイアンツの監督に就任し、1995年からは福岡ダイエーホークス、のちの福岡ソフトバンクホークスを率いる。低迷していたチームを、彼は粘り強く強豪へと育て上げた。
そして2006年、第1回ワールド・ベースボール・クラシック。日本代表の監督として、王は侍ジャパンを世界一へと導く。選手として世界記録を打ち立てた男が、今度は指揮官として世界の頂点に立った。二つの「世界一」を、別々の立場で成し遂げた稀有な野球人である。
八十を超えても、球団を背負って
私生活では、1966年に結婚した前妻・恭子さんを2001年に亡くし、2018年に再婚を発表している。三人の娘を持つ父でもある。
監督を退いた後も、王は福岡ソフトバンクホークスの球団会長として球界に立ち続けてきた。八十歳を超えてなお、チームを背負い、後進を見守る。その姿は、2010年に文化功労者として顕彰された経歴とともに、一人の野球人が貫いた長い責任の証しでもある。
王貞治の野球人生を貫くのは、派手さではなく、静かな一貫性だ。片足で立ち、刀を振り、淡々と記録を積み上げ、そして勝ち続けた。
「努力は必ず報われる」。本人が体現してきたこの言葉の前では、弱音を吐くのが少し恥ずかしくなる。世界の王とは、記録の称号であると同時に、ひたむきに生きることそのものの別名なのかもしれない。