ハチが米津玄師になるまで――ニコニコ動画の片隅から国民的アーティストへ
2009年、ある十代の青年がニコニコ動画に一曲をそっと投げ込んだ。名前は「ハチ」。顔も素性も明かさず、ただ音と絵だけで存在を示すその投稿者は、やがて画面の向こうの無数のリスナーを惹きつけていく。誰もこのとき、その人物が十年後に日本のど真ん中で歌い、ジブリ映画の主題歌まで任される存在になるとは想像していなかった。
徳島県徳島市に1991年に生まれた米津玄師。身長188センチの長身を少し前にかがめるようにして歌うその佇まいは、いまや一度見たら忘れられない。だが彼の出発点は、華やかなステージではなく、ヘッドホンの中で完結する孤独な制作の時間だった。これは、ネットの匿名空間で生まれた表現者が、その「陰の匂い」を手放さないまま光の場所へと歩いていった物語である。
「ハチ」という名の始まり
米津玄師の名が世に出るより前に、まず「ハチ」がいた。2009年からニコニコ動画へ楽曲を投稿し始めた彼は、ボーカロイドを歌い手に据えたボカロPとして頭角を現していく。作詞も作曲も、そしてイラストまで自分の手で仕上げる――この「全部入り」のスタイルは、後の米津玄師の核となるものだった。
注目すべきは、彼が音楽だけの人ではなかったことだ。大阪芸術大学附属大阪美術専門学校に学んだ美術畑の出身であり、ジャケットやミュージックビデオの絵もまた彼自身の表現の一部だった。声を持たないボーカロイドに言葉と旋律と絵を与え、画面の中で世界をまるごと立ち上げる。その作家性は、デビュー前からすでに完成へ向かっていた。
本名でステージへ
2012年、彼は「ハチ」ではなく本名の米津玄師名義でアルバム『diorama』を発表する。匿名の歌い手に歌わせる側から、自らの声で歌う側へ。これは表現者としての大きな一歩だった。そして翌2013年、「サンタマリア」でメジャーデビューを果たす。
ネットの内輪で評価された才能が、商業の大舞台でも通用するのか――そんな問いに、彼は作品で応えていく。徳島市立津田小学校、津田中学校、徳島県立徳島商業高等学校と地方で育った青年が、自作自演のシンガーソングライターとして全国へ届く声を獲得していった。
『Lemon』という社会現象
転機は2018年に訪れる。シングル「Lemon」が記録的な大ヒットを記録し、彼の名は一気に国民的なものとなった。街でも、テレビでも、人生の節目の場でも流れ続けるこの一曲は、もはや特定のアーティストの楽曲という枠を超え、日本の空気の一部のように溶け込んでいった。
同じ年、彼は念願の紅白歌合戦に初出場を果たす。さらにアルバム『BOOTLEG』は第60回日本レコード大賞の最優秀アルバム賞に輝いた。ネットの片隅から始まった青年が、ついに日本の音楽シーンの中心に立った瞬間だった。
自分以外のためにも書く才能
米津玄師の凄みは、自分の歌だけにとどまらない。2018年に発表した「パプリカ」は、子どもユニットFoorinに向けて彼がプロデュース・作詞作曲した楽曲で、世代を超えて口ずさまれる国民的な歌となった。翌2019年には、このプロデュース仕事で第61回日本レコード大賞の優秀作品賞を受けている。
2020年のアルバム『STRAY SHEEP』は、その年の音楽チャートで46もの冠を獲得する圧巻の記録を打ち立てた。さらに2021年には第71回芸術選奨で文部科学大臣新人賞(大衆芸能部門)を受賞。商業的な大成功と、芸術としての評価。その両方を同時に手にできる表現者は、そう多くない。
売れても寄せない頑固さ
これだけ売れてもなお、彼は安易に売れ線へ寄せていかない。2022年、アニメ「チェンソーマン」のオープニングとして発表された「KICK BACK」は、ポップの枠をはみ出すような攻めた一曲だった。国民的アーティストになってもなお、聴き手の予想を裏切る挑戦を続ける姿勢がそこにある。
そして2023年、彼はスタジオジブリの映画「君たちはどう生きるか」の主題歌「地球儀」を手がける。日本を代表する映像作家から主題歌を託されるという事実が、彼の到達点を物語っている。2024年にはアルバム『LOST CORNER』を発表し、表現の歩みを止めていない。
ネットの匿名空間で「ハチ」として音を投げていた青年が、気づけば日本のど真ん中で歌い、子どもからお年寄りまでが知る歌を生み、ジブリの主題歌まで任される存在になった。これはまさに令和のシンデレラストーリーである。
だが彼の物語が特別なのは、成功の大きさだけではない。光の場所に立ちながらも、出発点にあった陰の匂いを手放さず、孤独な制作者としての作家性を一貫して守り続けていることだ。曲も詞も絵も、すべてを自分の手で仕上げる稀有な全部入りクリエイター。唯一無二のその佇まいは、これからも誰にも真似できないまま、私たちの耳に残り続けるだろう。