里庄町から海の向こうへ――藤井風という、普段着のままのスター

岡山県の里庄町。地図を広げても、そう簡単には見つからない小さな町だ。そこからふらっと出てきた一人の青年が、ピアノの前に座って歌い出すと、世界中が耳を澄ますことになった。藤井風。1997年6月14日生まれ、双子座、丑年。身長181センチ。シンガーソングライターであり、キーボーディストであり、作曲家でもある。
肩書きを並べてみても、彼の音楽の核心には届かない。彼の歌が人の胸をつかむのは、技術の凄さの前に、まず徹底した「自然体」があるからだ。気取らず、背伸びせず、まるで自分の部屋でくつろぐようにピアノを弾き、歌う。そのままの空気を、ステージの上にもそっくり持ち込んでしまう人なのだ。
岡山の言葉を、歌のなかへ
藤井風の音楽を語るうえで欠かせないのが、歌詞に溶け込む岡山の言葉だ。標準語に整えて磨き上げるのではなく、自分が育った土地の言葉をそのまま歌のなかに残す。その選択に、彼の飾らない人柄がにじみ出ている。
方言を歌に混ぜるというのは、聴く人によっては取っつきにくさにもなりかねない。けれど藤井風の場合、それがまったく逆に作用する。気取りのなさ、嘘のなさ。土の匂いのする言葉が、ピアノの洗練されたサウンドと溶け合ったとき、唯一無二の手触りが生まれる。そこには、どこの誰でもない、里庄町から来た彼自身の声がある。
海の向こうで起きたこと
「死ぬのがいいわ」。この一曲が、海の向こうで大きな話題を呼んだ。リリースからしばらく経ってから、世界中のリスナーに見つけ出され、国境を越えて広がっていったのである。日本のシンガーソングライターが、自分の言葉のまま、世界の耳に届いた瞬間だった。
興味深いのは、本人の反応だ。とんでもないことが自分の身に起きているはずなのに、藤井風は妙にケロッとしていた。舞い上がるでもなく、構えるでもなく、いつもの肩の力の抜けた佇まいのまま。その動じなさこそが、逆にこちらを唸らせる。
自然体のなかに潜む深さ
声も、歌も、佇まいも、すべてがナチュラル体。だからつい油断して聴いてしまう。ところが、そんなくつろいだ空気のなかで、彼はふと真顔になって、人生の深いところを突くような一節を歌う。
その落差で、聴き手は不意打ちを食らう。身構える間もなく、胸をぐっとつかまれてしまうのだ。軽やかさと深さ、その両方を同じ歌のなかに自然に共存させられること。それが藤井風という音楽家の、最も恐ろしいところかもしれない。
教えて身につくものではない
ステージの上に立っても、彼はどこか普段着のままの空気をまとっている。煌びやかな照明や大観衆を前にしても、自分の部屋でくつろいでいるときと、その人となりが地続きに見える。
こういう天然のスター性は、誰かに教わって身につくものではない。レッスンや戦略で作れるものでもない。岡山の小さな町で育まれた、彼そのものの在り方が、そのまま世界に通用する魅力になっている。それは、ほとんど奇跡のようなことだ。
里庄町から、ふらっと出てきた感じなのに、ピアノを弾かせれば呆れるほど上手い。岡山の言葉を臆面もなく歌に混ぜ、世界的なヒットを飛ばしてもなお、ケロッとしている。藤井風という人を見ていると、スターとは作るものではなく、滲み出るものなのだと思い知らされる。
これからも彼は、普段着のままの佇まいで、ふと胸をつかむ歌を世界に届けていくのだろう。気負いも、嘘もない。ただ自分のままで在ること。それが、これほど強いとは。