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「自分は絵がヘタで」と言い続けた男が、世界の壁をぶち破るまで――諫山創と『進撃の巨人』

諫山創(漫画家)の写真

ひとつの漫画が、世界の風景を変えてしまうことがある。城壁の外から巨人が襲い来る世界を描いた『進撃の巨人』は、まさにそれだった。アニメは国境を越え、英語圏でも社会現象となり、その作者の名は世界中の読者に刻まれた。

ところが、その当人――諫山創は、長らくこう言い続けてきたという。「自分は絵がヘタで」。世界的大ヒット作を一人で描き上げた人物の言葉とは、とても思えない。

大分県の山あいの町に生まれた一人の青年が、なぜあれほど巨大で緻密な物語を、伏線一つ取りこぼさずに完結まで描き切れたのか。その執念の物語を追ってみたい。

大分の山あいから来た漫画家

諫山創は1986年、大分県日田郡大山町(現・日田市)に生まれた。大分県立日田林工高等学校を経て、専門学校九州デザイナー学院のマンガ学科で学ぶ。

そして2006年、彼は講談社マガジングランプリ(MGP)に、ある作品の原型を投稿する。それが後に世界を席巻する『進撃の巨人』の種だった。佳作の評価を受けたこの段階で、すでに彼の物語の核は芽生えていた。

曲げなかった、その頑固さ

2008年、『HEART BREAK ONE』で第80回週刊少年マガジン新人漫画賞特別奨励賞、続く『orz』で第81回同賞に入選し、デビューを果たす。

伝えられるところでは、デビュー前に原型を持ち込んだ際、編集者からは少年誌向きではないと渋られたという。だが諫山は絵柄も世界観も頑として曲げなかった。城壁の中に閉じ込められた人類、突如襲い来る巨人――その不穏で重い設定を、彼は手放さなかった。あの分厚い壁をぶち破るほどの執念がなければ、伏線の塊のような物語は生まれなかっただろう。

別冊少年マガジンで始まった伝説

2009年、『進撃の巨人』は別冊少年マガジンで連載を開始する。2011年には第35回講談社漫画賞少年部門を受賞し、テレビアニメ化が決定。2013年にアニメ第1期が放送されると、作品は国内外で爆発的なヒットを記録した。

巨人という恐怖の象徴、城壁の内と外、明かされていく世界の真実。読者は次々と仕掛けられた謎に引き込まれ、物語は世界規模のうねりへと膨れ上がっていった。

重い物語の裏にある、もう一つの顔

あれほど暗く重い世界を描く人物が、その素顔ではどんな日々を送っていたのか。諫山の趣味は、総合格闘技の観戦、そしてアイドルグループ・ももいろクローバーZのファン活動だった。映画評論家・町山智浩のラジオを聴き、サンドバッグを叩くこともあったという。

「格闘技をするウルトラマンを描きたかった」――彼が作品の着想をそう語ったというエピソードは、この振り幅をよく物語っている。重厚な物語の裏で、汗をかき、ライブで飛び跳ねる作者の姿を想像すると、作品の見え方すら少し変わってくる。

2021年、別冊少年マガジン5月号に最終話が掲載され、『進撃の巨人』は全34巻で完結した。連載期間は11年以上。それだけの長い年月にわたって張り巡らせた伏線を、一つも取りこぼさずに畳みきった胆力は、ただただ尊敬に値する。完結に際し、彼が漏らした言葉は「ようやく終わります」だった。

同年には野間出版文化賞を受賞し、2023年にはフランスのアングレーム国際漫画祭で第50回記念フォーブ特別賞に輝いた。山あいの町から来た「絵がヘタ」と言い続けた青年は、世界の壁の向こうへと、確かに進撃してみせたのである。