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モリゾウと呼ばれた会長──豊田章男、クルマに恋した経営者

豊田章男(実業家・自動車業界経営者)の写真

世界に冠たるトヨタ自動車。その頂点に立つ人物が、自らハンドルを握ってドイツの過酷な耐久レース、ニュルブルクリンク24時間に出場する。しかも「モリゾウ」という偽名まで作り、油まみれになりながら本気でアクセルを踏む。そんな経営者が、世界のどこにいるだろうか。

豊田章男。トヨタ創業家の御曹司として生まれ、本来なら会長室でふんぞり返っていればよかった男は、なぜわざわざサーキットへ飛び出していくのか。その答えは、彼が掲げ続けた一つの言葉に凝縮されている。「もっといいクルマをつくろうよ」。社長の発言にしては妙にやわらかいこの一言が、何万人もの職人の心に火をつけた。

肩書きで威張らず、ただひたすらクルマを愛する。そんな男の歩みをたどってみたい。

創業家に生まれて

1956年5月3日、豊田章男は愛知県名古屋市に生まれた。トヨタ創業者・豊田喜一郎を祖父に持ち、元会長・豊田章一郎を父に持つ、まさに創業家の長男である。慶應義塾高等学校在学中にはアメリカ・ハワイのプナホウ・スクールへ留学し、1979年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業した。

しかし彼は、すぐにトヨタへは入らなかった。1982年、アメリカのバブソン大学経営大学院で経営学修士(MBA)を取得すると、同年そのまま投資銀行A.G.ベッカーに入社する。一族の看板に頼らず、まず外の世界で自分の力を試す道を選んだのだ。トヨタの門をくぐったのは1984年。28歳のときだった。

「モリゾウ」誕生

出世の階段を着実に上がる一方で、豊田には人とは違う情熱があった。クルマを、机上の数字としてではなく、自らの手と足で理解したいという欲求である。彼にはトヨタの伝説的テストドライバー、成瀬弘という師匠がいた。「運転のできない者にクルマのことを語る資格はない」とばかりに、章男は本気でドライビングを磨いていく。

そして2007年、彼は「モリゾウ」という名でニュルブルクリンク24時間レースに初参戦する(Team GAZOO)。経営者が偽名でレースに出る──それは業界内外で大きな話題を呼んだ。2010年にはついにクラス優勝を果たす。会長室ではなく運転席でクルマと向き合うこの姿勢が、のちのトヨタのスポーツカー復活へとつながっていく。

最年少社長として

2005年に代表取締役副社長となった豊田は、2009年、ついにトヨタ自動車の代表取締役社長に就任する。当時52歳、工販合併後では最年少の社長だった。だがその船出は決して穏やかではなかった。世界的な経済危機と大規模リコール問題が、就任早々の彼を待ち受けていた。

逆風の中で彼が掲げたのが、「もっといいクルマをつくろうよ」という言葉だった。難しい経営数字でも、勇ましいスローガンでもない。体温のあるこの一言が、結果として何万人もの職人の心を動かした。人を動かすのは数字ではなく、こういう言葉なのだ──彼の経営は、それを静かに証明してみせた。

業界を背負う

2012年から2014年、そして2018年から2023年と、豊田は日本自動車工業会の会長を務め、日本の自動車産業全体を背負う立場に立った。2013年にはフランスからレジオンドヌール勲章オフィシエ章を、2017年には日本政府から藍綬褒章を受けている。2014年にはベストドレッサー賞も受賞した。

2023年、彼は社長の座を佐藤恒治に譲り、代表取締役会長へと退いた。だが第一線から退いたわけではない。会長として電動化やモビリティ事業の推進を続け、トヨタという巨大な船の舵取りを担い続けている。

大黒パーキングの人

彼の人柄を物語る逸話がある。横浜の大黒パーキングエリアに、豊田章男がフラッと現れてクルマ好きと写真を撮っている──そんな噂が、SNSの自動車界隈で繰り返し話題になるのだ。天下のトヨタの会長が、肩書きを脱ぎ捨てて、ただの一人のクルマ好きとしてそこに立つ。これほど分かりやすい「威張らない証拠」もないだろう。

家庭では、1985年に三井物産副社長・田淵守の長女である裕子と結婚し、長男・大輔をもうけている。大学時代にはホッケーで日本代表歴を持つほどのスポーツマンでもあった。クルマだけでなく、体を動かすこと全般に、彼の旺盛な好奇心と行動力が表れている。

日本のものづくりを背負うという重圧は、想像を絶するものだろう。だが豊田章男は、その重さをまるで楽しんでいるかのように引き受けてきた。モリゾウとしてサーキットを走り、「もっといいクルマをつくろうよ」と笑い、大黒パーキングにふらりと現れる。

肩書きではなく情熱で人を動かした経営者。クルマに恋し続けたその姿は、効率と数字だけでは測れない、ものづくりの本質を私たちに思い出させてくれる。