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浪速のロッキー、リングを降りてなお殴り続ける——赤井英和の二つの人生

赤井英和(俳優・ボクサー)の写真

赤井英和は1959年8月17日、大阪市西成区に生まれた。

最初の人生で、彼はリングの上にいた。「浪速のロッキー」と呼ばれ、無敗で突っ走ったボクサー。ギラギラした目で相手を睨み、拳で道を切り拓いていた。だが彼の物語は、そこで終わらなかった。グローブを外したあと、彼はまったく別の戦い方を見つけることになる。

西成という原点

赤井英和を語るとき、出発点である大阪府西成区を外すことはできない。大阪市立今宮中学校から浪速高等学校のボクシング部を経て、近畿大学商学部を卒業した。

浪速のロッキー

最初の赤井英和は、ボクサーだった。「浪速のロッキー」という異名を背負い、無敗で突き進んだあの頃の彼は、ギラギラとした飢えを目に宿していた。リングの上で殴り合う男の、剥き出しの闘志。

だが世界タイトルに挑んだ試合では第7ラウンドでTKO負けを喫する。さらにその後の試合で第7ラウンドにKOされて意識を失い、急性硬膜下血腫と脳挫傷で開頭手術を受けた。命はとりとめたが、医師の勧告でボクサーを引退した。

リングから役者へ

やがて彼は俳優になった。テレビでニコニコと喋り、笑い、人を和ませる。リングの上のギラギラした男が、いつの間にかえらく丸くなったように見える——その変化に、ホッとするやら寂しいやら、複雑な気持ちを抱くファンは少なくない。

映画デビュー作『どついたるねん』(1989年)でキネマ旬報の新人男優賞や報知映画賞の新人賞を受け、1993年にはエランドール賞の新人賞も受賞した。ボクサーから役者への転身が、業界からきちんと認められた瞬間だった。殴り合いとは別の方法で、彼はまた人の心を打ったのだ。

一皮むけばケンカ屋

だが、丸くなったように見えても、一皮むけば芯はやっぱりケンカ屋のままだ。あの太い声で豪快に笑われると、こちらまで肩の力が抜けてしまう。役者やタレントとして成功してもなお、彼は自分を取り繕わない。

もとはボクサーの男。ただ、拳の代わりに、もっと柔らかい打ち方を見つけただけ——そんな彼には、変な飾りがない。だからこそ、人は彼を信頼する。

赤井英和の人生は、二つの戦い方の物語だ。リングの上で拳を振るった前半生と、リングを降りて声と笑顔で人を打った後半生。形は変わっても、根っこにあるものは変わっていない。

なんぼ俳優やタレントで売れても、いまも大阪ではバラエティ、東京では俳優として戦い続ける男。彼の太い声を聞くたび、私たちはどこか安心するのだ。本物は、取り繕わない。