言葉を濁さない男――足立康史という政治家の手触り

京都大学を出た頭脳が、なぜわざわざ自分から火種に飛び込んでいくのか。足立康史を見ていると、つい親戚のおっちゃんに向けるような口調で「もうちょっと穏便にいかれへんのか」と言いたくなる瞬間がある。
それでいて、目を離せない。国会の質問でも、インターネット上の発信でも、彼は言葉を濁さない。賛否は割れるが、少なくとも「何を考えているのか分からない政治家」ではない。1965年10月14日、大阪府に生まれたこの男は、エリートの経歴と泥くさい語り口を同居させたまま、政治の世界に立っている。
茨木の高校から京都大学へ
足立康史は大阪府の出身。大阪府立茨木高等学校で学び、そこから京都大学へと進んだ。関西の進学校から京大という道は、誰の目にも分かりやすいエリートコースだ。
ただ、経歴の華やかさと本人の佇まいは、必ずしも一致しない。学歴だけを見れば「いかにも頭の切れる人」という像が浮かぶが、彼の言葉には妙な泥くささが残っている。そのギャップこそが、足立康史という人物の最初の手触りだ。
政治家としての立ち位置
足立康史は政治家として知られる。生まれ年が1965年であることを踏まえれば、長く公の場で発言を続けてきた世代である。
確実に言えるのは、彼が「言葉を選んで角を丸める」タイプではないということだ。国会という場でも、ネットという場でも、思っていることを正面からぶつける。スマートに濁す政治家が多いなかで、その姿勢は良くも悪くも目立つ。
ズバズバ言う、その代償と魅力
ズバズバ言ってしまう人には、当然ながら敵が増える。見ているこちら側がヒヤヒヤするほど、足立康史は自分から論争の渦に踏み込んでいく。穏便に立ち回ればいいのに、と思わせる場面は一度や二度ではない。
しかし、見方を変えれば、これほど分かりやすい政治家もいない。ええ格好をして言葉を濁すより、思っていることを正面からぶつけてくる方が、有権者にとっては判断しやすい。賛成も反対も、はっきり対象が見えるからこそできる。
引かない頑固さ
こうだと思ったら一歩も引かない――そんな頑固さは、大阪の人間らしいと言ってしまえばそれまでだが、政治の場では一つの個性として機能する。
敵に回せば厄介で、味方に付けば頼もしい。足立康史はおそらく、そのどちらの顔も持っている。公式サイトやインスタグラム、Xでの発信も、その一貫した姿勢の延長線上にある。
京都大学を出たキレッキレの頭脳に、消えない泥くささが同居している。足立康史を「憎めない」と感じる人がいるとすれば、その理由はおそらくここにある。
ええ格好をしない。言葉を濁さない。その不器用さが武器にも弱点にもなる政治家を、これからも目で追ってしまうのだろう。