celeb-db
English

平たい顔族の中の異邦人――阿部寛という"芯"の物語

阿部寛(俳優・モデル)の写真

189センチ。彫りの深い顔立ち。日本人離れした風貌のこの男が、ローマ人を演じてプールに浮かんでアタフタするのだから、世の中というのはわからない。けれど阿部寛のすごさは、その規格外の見た目で笑わせることではない。シリアスな町工場の社長から、温泉でうろたえる古代ローマ人まで、どれだけ振り幅の大きい役を演じても、画面の向こうにいるのが「阿部寛」だと一目でわかる――その揺るがない芯にこそある。

横浜に生まれ、理工系の大学で電気工学を学んだ青年が、姉に勧められて応募したオーディションをきっかけに表舞台へ。モデルとして頂点を極め、長い下積みを経て俳優として大成し、令和の今もなお第一線で主演を張り続ける。その歩みは、派手さよりも持続の物語だ。

電気工学科の青年が、表紙のモデルになるまで

阿部寛は1964年6月22日、神奈川県横浜市に生まれた。横浜市立三ツ沢小学校、松本中学校、神奈川県立白山高校を経て、中央大学理工学部電気工学科に進む。芸能とは縁遠い、理系の青年だった。

転機は1985年。姉に勧められて応募した集英社の第3回ノンノボーイフレンド大賞で優勝し、モデルとしてデビューする。そして創刊されたばかりのメンズノンノの表紙を飾った。ファッション誌の世界でその端正な容姿は瞬く間に注目を集め、彼は時代の顔の一人になっていく。後にメンズノンノの連続表紙43号という記録でギネス世界記録に認定されることになるのだから、その存在感は本物だった。

俳優・阿部寛の長い助走

1987年、映画『はいからさんが通る』で俳優デビュー。だが、モデルとして圧倒的だった彼が、俳優として評価を確立するまでには長い時間がかかった。1994年には『凶銃ルガーP08』『大阪極道戦争 しのいだれ』での仕事が日本映画プロフェッショナル大賞の特別賞に結びつく。地道に役を重ねる時期が続いた。

潮目が変わったのは2000年のドラマ『TRICK』だ。それまでの二枚目のイメージとは打って変わって、どこか抜けたコミカルな演技を見せ、観る者を驚かせた。シリアスもコメディもこなせる――この一本で、阿部寛は「幅の広い俳優」として再定義された。

ローマ人になった日本人

2012年、映画『テルマエ・ロマエ』が大ヒットを記録する。古代ローマの浴場設計技師が現代日本の風呂文化にタイムスリップするという奇抜な物語で、その主役を演じたのが阿部寛だった。彫りの深い顔と長身が、フィクションの「ローマ人」をこれ以上ないほど説得力のあるものにした。荒唐無稽な設定を、彼の真剣な芝居が成立させたのだ。

この作品で阿部は第55回ブルーリボン賞主演男優賞、第36回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。モデル出身の二枚目という看板を、名実ともに主演俳優の称号へと書き換えた瞬間だった。

背中で語る、令和の主演俳優

その後の阿部寛は、日本のドラマ界の屋台骨であり続けた。2015年の『下町ロケット』では町工場の社長を熱演して高視聴率を獲得し、テレビドラマアカデミー賞主演男優賞を受賞。2021年の『ドラゴン桜』、2023年の大河ドラマ『どうする家康』、そして話題作『VIVANT』と、世代を超えて主演・出演作を重ねていく。

私生活では2008年に元銀行員の一般女性と結婚し、二人の娘を授かった。趣味はテニスと古武術、特技はりんごの皮むき、好物は焼き芋という、どこか飾らない素顔も知られている。SNSは一切やらない。余計なことは語らず、作品で勝負する――その姿勢は、令和にあっては希少なものだ。

世界最速の公式ホームページ伝説

阿部寛を語るうえで外せないのが、彼の公式ホームページだ。装飾を排した極めてシンプルなつくりは、表示速度が世界最速クラスだとネットで話題になり、ひとつのインターネットミームにまでなった。本人はいたって真面目につくっているのに、結果として令和のネット民を笑わせている――この意図せぬユーモアが、また彼らしい。

派手な自己演出とは無縁の人だ。けれどその素っ気なさが、かえって独特の味わいを生む。SNS全盛の時代に背を向けたまま、なお愛される稀有な俳優なのである。

モデルとして頂点に立ち、俳優として大成し、ミームとしてまで愛される。阿部寛の歩みは、一過性のブームではなく、長く太い一本の幹のような持続の物語だ。どんな役を演じても変わらない「阿部寛らしさ」という芯――それは多くを語らず、背中で見せる昭和の漢気を、令和まで持ち越した稀有な姿でもある。

次にスクリーンやテレビで彼を見るとき、その揺るがぬ芯にあらためて目を凝らしてみてほしい。きっと、なぜこの人が四十年も第一線にいられるのかが、自然と腑に落ちるはずだ。