氷上のチェスを制した女――髙木菜那、平昌の二冠

北海道幕別町。十勝平野に広がる、スピードスケートの盛んな土地。ここに、1992年7月2日生まれの一人の選手がいる。髙木菜那。身長155センチ。決して大柄ではない彼女が、世界の頂点で見せたのは、脚力ではなく頭脳と度胸の勝負だった。
2018年、平昌冬季オリンピック。彼女はこの大会で、二つの金メダルを手にする。一つはチームの結束で、もう一つはたった一人の駆け引きで。淡々とした表情の奥に、彼女は誰よりも熱い負けん気を隠していた。
幕別から氷の世界へ
スピードスケートが日常に根づく北海道幕別町。冬になれば氷が身近にあるこの環境で、髙木菜那は滑ることを覚えていった。
身長155センチという体格は、パワー勝負のスポーツでは決して有利とはいえない。だが彼女は、その条件のなかで自分の戦い方を磨いていく。正面からの力比べではなく、間合いと粘り、ここぞという瞬間の判断で勝負を決める――そんなスタイルが、やがて世界の舞台で花開くことになる。
団体追い抜きの金
平昌で彼女がまず手にしたのは、団体追い抜き(チームパシュート)の金メダルだった。これは個人の速さだけでは勝てない種目だ。複数の選手が一糸乱れぬ隊列を組み、空気抵抗を分け合い、息を合わせて滑り抜ける。
チーム全員の呼吸がぴたりと合ったとき、初めて頂点に立てる。髙木菜那はその要として、仲間とのタイミングを完璧に噛み合わせた。個ではなく総体で勝ち取る金。それが彼女の二冠の、最初の一つだった。
マススタート、初代女王
そしてもう一つ。2018年大会で新たに採用された種目、マススタートで、彼女は初代オリンピック女王の座をかっさらった。
マススタートは、複数の選手が一斉にスタートし、駆け引きのなかで勝者を決める。集団の流れを読み、無駄な体力を使わず後方に控え、ここぞという瞬間に一気に仕掛ける。まるで氷上のチェスだ。髙木菜那はその盤面を冷静に読み切り、最後の最後で抜け出した。力でねじ伏せるのではなく、頭で勝つ。彼女の真骨頂が、最も鮮やかに表れた一戦だった。
髙木家という底知れなさ
髙木菜那を語るとき、避けて通れないのが妹・美帆の存在だ。妹もまた、スピードスケート界を代表する大スターである。姉妹そろってのトップアスリート。それだけで髙木家の底知れなさが伝わってくる。
だが姉は姉で、妹とはまた違う武器を持っている。スピードそのものよりも、駆け引きと粘りで勝負を決める姉のスタイルは、彼女だけの確かな個性だ。同じ食卓を囲む二人が、それぞれ別の形で頂点に立つ。その事実そのものが見事である。
平昌での二つの金、そして紫綬褒章。淡々として見える表情の裏には、内に秘めた燃えるような負けん気がある――そう睨みたくなるほど、髙木菜那の勝負強さは際立っていた。
力ではなく頭で、個ではなく間合いで。氷上のチェスを制した女の歩みは、体格や派手さがすべてではないことを、静かに、しかし確かに証明している。よう頑張った、と声をかけたくなる選手だ。