テーマがないのがテーマです——鳥山明、世界に夢を届けた「町のおっちゃん」

「強くなりたい」「もっと先が見たい」。世界中の子どもが抱いたその気持ちを、たった一本の漫画でまるごとかっさらってしまった人がいる。鳥山明。『ドラゴンボール』の作者であり、『Dr.スランプ』を生み、『ドラゴンクエスト』のスライムをデザインした、漫画とゲームの両方に巨大な足跡を残した男だ。
1955年、愛知県西春日井郡清洲町(現・清須市)に生まれた。大学には進まず、高校のデザイン科を出て名古屋のデザイン会社に勤めたのち、漫画家へと転身する。地球の裏側まで夢を届けた人物が、自らを「基本引きこもりです」と評する——そのギャップこそが、彼という人の魅力だった。
2024年3月1日、急性硬膜下血腫のため68歳で世を去った。残された作品は、いまも世界中で読み継がれている。
投稿から始まった漫画家人生
鳥山明が漫画の世界に足を踏み入れたのは、集英社主催の新人賞への応募がきっかけだった。1978年、週刊少年ジャンプに読み切り『ワンダー・アイランド』を発表してデビュー。高校卒業後に勤めたデザイン会社を辞め、絵で食べていく道を選んだ若者の、本格的な始まりだった。
1980年、連載が始まった『Dr.スランプ』が彼の名を一気に押し上げる。発明博士と、彼が作った天真爛漫なロボットの少女アラレちゃん。そのギャグとあたたかさは爆発的な人気を呼び、翌年にはアニメ化。1981年には第27回小学館漫画賞を受賞した。1982年にはバード・スタジオを設立し、同じく漫画家のみかみなちと結婚。創作の拠点と家庭を、ほぼ同時に築いている。
世界を巻き込んだ『ドラゴンボール』
1984年、週刊少年ジャンプで『DRAGON BALL』の連載が始まる。願いを叶える七つの玉を探す冒険譚として出発した物語は、やがて少年・孫悟空の成長と、果てしないバトルの物語へと姿を変えていった。
「強くなりたい」「もっと先が見たい」という読者の気持ちを的確につかみ、作品は国境を越えて広がっていく。累計発行部数は2024年時点で2億6000万部を超えた。あのツルッとして無駄のない線は、誰にでも描けそうに見えて誰にも真似のできない、まさに天才の証だった。1995年に連載は幕を閉じたが、その後も世界中でアニメや映画が作られ続けている。
漫画家がゲームの顔をつくった
鳥山明の才能は、漫画の枠にとどまらなかった。1986年、ファミコン用ソフト『ドラゴンクエスト』のキャラクターとモンスターのデザインを担当。あの愛らしいスライムをはじめ、シリーズを彩る数々の姿を生み出し、以降I〜XIにわたって日本を代表する国民的ロールプレイングゲームの「顔」をつくり続けた。
1995年にはスーパーファミコン版『クロノ・トリガー』のキャラクターデザインを、2006年には『ブルードラゴン』を担当。漫画でもゲームでも、彼の描く人物やモンスターはひと目で「鳥山明の絵」とわかる強さを持っていた。一人の漫画家が、日本のゲーム文化の見た目そのものを形づくったのである。
脱力した顔の天才
これほどの仕事をしながら、鳥山本人はどこまでも飄々としていた。「基本引きこもりです」「テーマがないのがテーマです」。そんな脱力した言葉を、めったに表に出ない作者は静かに残している。趣味はモデルカー収集、ガンプラなどのプラモデル制作、そしてドライブ。プラモをいじってニコニコしている、まるで町のおっちゃんのような人だった。
その仕事は海外でも高く評価された。2013年にはアングレーム国際漫画祭の40周年記念特別賞を受賞。2019年にはフランス芸術文化勲章シュバリエを受章している。日本の少年漫画から始まった彼の絵は、確かに地球の裏側まで届いていた。
2024年3月1日、鳥山明は急性硬膜下血腫のため68歳で急逝した。あまりに突然の訃報は、世界中のファンに衝撃を与えた。同年、東京アニメアワードの功労部門に選ばれている。
格好をつけず、地味な暮らしを愛し、それでいて世界中の子どもの記憶の真ん中に自分の絵を置いてみせた人。プラモをいじって笑っていた「町のおっちゃん」が、地球の裏側まで夢を届けてしまった。ありがとう、としか言いようがない。