壁は、素手で壊すものだ――YOSHIKIという生き様

黒い衣装、ミステリアスな佇まい。けれどその内側にいるのは、誰よりも泥くさく努力を重ねてきた一人の人間だ。本名・林佳樹。1965年、千葉県館山市に生まれた少年は、4歳でピアノと音楽理論を習い始め、やがてドラムを狂ったように叩き、ピアノでは息を呑むほど繊細な旋律を書く――そんな両極端を一身に抱えた音楽家になった。
X JAPANで日本の音楽史に伝説を刻んでもなお、彼は立ち止まらなかった。ハリウッドへ、ゴールデングローブへ、そして世界が用意した「壁」の一つひとつへ。これは、YOSHIKIという生き様の物語である。
館山の少年と、幼馴染との約束
4歳でピアノに触れた林佳樹の音楽人生は、しかし平坦ではなかった。父・林文男を幼少期に亡くすという深い喪失を、彼は早くに経験している。
1977年、幼馴染のToshiとともにバンド「Dynamite」を結成(後に「Noise」と改名)。この二人の関係こそ、後のX JAPANの核となる。1982年、新たに「X」を結成。千葉県立安房高等学校を1984年に卒業した彼は、武蔵野音楽大学への進学を直前で辞退し、迷うことなく音楽の道へと突き進んでいった。
自分のレーベルから、メジャーの頂へ
1986年、YOSHIKIは自身のインディーズレーベル「Extasy Records」を設立する。誰かに見出されるのを待つのではなく、自分たちの音を自分たちで世に出す――その独立心が、彼のキャリアを貫く背骨だ。
そして1989年4月21日、メジャーアルバム「BLUE BLOOD」を発売。オリコン6位にランクインし、翌1990年には第4回日本ゴールドディスク大賞のグランプリ新人賞を受賞した。「紅(くれない)」をはじめとする楽曲は、後のビジュアル系ムーブメントの原型となっていく。1992年にはバンド名を「X JAPAN」に改め、ハリウッドにレコーディングスタジオまで構えた。
解散、そして再び鳴り始めた音
1997年、X JAPANは解散を発表する。頂点を極めたバンドの突然の終わりは、多くのファンに衝撃を与えた。だが物語はそこで途切れなかった。
2007年、X JAPANは再結成し、新曲「I.V.」を発表。この曲は映画「SAW IV」にも使用され、世界へと届いた。一度終わったものを、もう一度鳴らし直す。その執念もまた、YOSHIKIという人間を形づくっている。
ロックの外へ――クラシック、そして国家的儀式
YOSHIKIの音楽は、ロックの枠には収まらない。1993年のソロクラシックアルバム「Eternal Melody」、2013年にはロンドン・フィルハーモニー管弦楽団と共演した「Yoshiki Classical」を発表している。
その才能は国家的な場面にも招かれた。1999年、天皇陛下御即位10年記念式典のために「Anniversary」を作曲・披露。さらに2012年には第70回ゴールデングローブ賞のテーマ曲を作曲・演奏し、世界的に大きな話題を呼んだ。ロックドラマーが、クラシックの大編成も、国家の式典も、ハリウッドの祭典も手がける――その振り幅は、ほとんど常識を超えている。
世界の壁を、一つずつ
2018年、「We Rock」誌のヘヴィメタル総選挙で、ハードロック/ヘヴィメタル史上最高のドラマー・キーボーディストに選出。2022年にはHYDE・SUGIZO・MIYAVIとスーパーバンド「THE LAST ROCKSTARS」を結成した。
評価は加速していく。2023年、ハリウッドのグローマン中国劇場に、日本人アーティストとして約100年ぶりに手形・足形を登録。2024年にはVariety誌の「International Achievement in Music」受賞者に選ばれ、さらに米エンターテイメント・コミュニティ基金の「Medal of Honor」を、その116年の歴史で日本人・アジア人として初めて受賞した。「生きている限り、自分なりの方法で世界の壁を壊したい」――その言葉どおりの歩みである。
首も腰もボロボロだという。それでも彼は「生きている限りやる」と言い、ステージに立ち続ける。激しいドラムと繊細なピアノ、黒い衣装とハローキティ50周年記念テーマ曲――そのあまりに大きな振り幅こそが、YOSHIKIという人の正体だ。
派手な見た目に騙されてはいけない。中身は誰よりも泥くさく、誰よりも諦めの悪い努力の人である。ロックとは音楽のジャンルではなく、生き様のことだ――彼を見ていると、そう思わずにはいられない。