赤い髪のエイリアン――hideが横須賀から世界へ放った33年の閃光

真っ赤に染めた髪、ピンクの衣装、そして指先から飛び出す爆音。1990年代の日本のロックを語るうえで、hide――松本秀人という名前を外すことはできない。彼はX JAPANという嵐の中心でギターを掻き鳴らし、同時に自分だけの色を持った稀有なアーティストだった。
1964年に神奈川県横須賀市に生まれ、1998年5月2日にわずか33歳でこの世を去ったhide。その短い生涯は、見た目の派手さとは裏腹に、ひたすら音楽に向き合い続けた職人の物語でもある。彼が残したものは、今もライブハウスのどこかで語り継がれている。
本稿では、横須賀の少年がいかにして「赤髪のエイリアン」と呼ばれる唯一無二の存在になったのか、その足跡をたどっていく。
横須賀の少年、ギターを握る
hideこと松本秀人は、1964年12月13日、神奈川県横須賀市に生まれた。横須賀市立多田小学校、常葉中学校を経て、東修開成高校へ進む。射手座、AB型。後に世界を相手にする男も、出発点はごく普通の港町の少年だった。
転機は高校在学中に訪れる。1981年、彼はバンドSABER TIGER(後のSAVER TIGER)を結成し、本格的に音楽の道へ踏み出す。当時すでに、ただ上手いだけではない、人目を引く個性の片鱗を見せていたという。
興味深いのは、彼がハリウッドビューティ専門学校を卒業しているという経歴だ。美容とファッションへの強いこだわりは、後の「赤い髪にピンク」という彼のトレードマークへと結実していく。音楽とビジュアルを切り離さない感性は、この頃から育まれていた。
X JAPANという嵐の中心で
1987年、SAVER TIGER解散後のhideに、運命を変える誘いが舞い込む。YOSHIKIからのスカウトである。彼はX(後のX JAPAN)に正式加入し、リードギタリストとしてバンドの音を担うことになった。
1989年、X JAPANはメジャーデビューを果たし、1stメジャーアルバム「BLUE BLOOD」をリリース。同年には日本ゴールドディスク大賞を受賞する。「紅」をはじめとする楽曲で、hideのギターは疾走感と叙情を同時に鳴らし、バンドの音楽性を決定づける一本となった。1991年の「Jealousy」でもその存在感は揺るがない。
派手なステージングと轟音のなかで、彼は単なる技巧派ではなかった。曲を作り、構成を考え、バンド全体の表現を押し上げる。X JAPANのhideは、嵐の中心にいながら、どこか冷静に音を設計する職人でもあった。
ソロ、そして世界への挑戦
バンドの一員でありながら、hideは早くから自分自身の表現を模索していた。1993年8月、シングル「EYES LOVE YOU」「50%&50%」を同時発売してソロデビュー。そして1994年、ソロ1stアルバム「HIDE YOUR FACE」をリリースし、オリコン1位を獲得する。同作は同年の日本ゴールドディスク大賞ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤーにも輝いた。
彼の野心はそこで止まらなかった。1996年にはソロ2ndアルバム「PSYENCE」を発表すると同時に、英米人メンバーと組んだバンドzilchを結成。国境を越えて世界の音と渡り合おうとする姿勢は、当時の日本のロックシーンにあって際立っていた。
1997年にX JAPANが解散すると、hideはhide with Spread Beaverとして活動を継続する。彼のなかには、所属を超えて鳴らし続けたい音が、確かにあった。
死後に羽ばたいたPINK SPIDER
1998年1月、hide with Spread Beaver名義でシングル「ROCKET DIVE」をリリース。勢いそのままに駆け抜けるはずだった。しかし同年5月2日、hideは33歳という若さで急逝する。あまりに突然の別れだった。
その死の直後、彼の楽曲「PINK SPIDER」は死後11日でリリースされ、100万枚を超える大ヒットを記録する。切なさと疾走感が同居するこの曲は、奇しくも彼の音楽性を凝縮した一曲となり、多くの人の心に焼きついた。同年、PINK SPIDERのミュージックビデオはMTV VIDEO MUSIC AWARDSのインターナショナル・ビューワーズ・チョイス(日本)を受賞している。
さらに、彼を追悼するトリビュートアルバム「hide SPIRITS」は、ギネス申請されるほどの販売枚数を記録した。生前に蒔いた種が、死後に大きく花開いた稀有な例である。
真っ赤な髪にピンクをまとい、見た目だけで人を二度見させる。その派手さの裏で、PINK SPIDERのような切なくも疾走する楽曲を書く。hideのカッコよさは、このギャップにこそ宿っていた。誰かが真似すればただのコスプレで終わるところを、彼がやれば唯一無二になる。それは生まれ持った何かと、横須賀の少年時代から積み上げた美意識の賜物だったのだろう。
彼が逝ってから数十年が経つ。それでもライブハウスのどこかで、ファンは今も「赤い髪のアイツ」の話で盛り上がっている。記録ではなく記憶のなかで生き続けること。それこそが、hideが残した最大の勲章なのだ。