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1ミリの奇跡を生んだ、川崎発の魔術師——三笘薫という「逆算」の物語

三笘薫(プロサッカー選手・ミッドフィールダー)の写真

左サイドでボールを持った瞬間、スタジアムの空気が変わる。観客は前のめりになり、相手ディフェンダーは身構える。だが次の瞬間、彼の体はもうそこにはいない。スルリと股を抜き、外へ流し、振り返ったときには置き去り。三笘薫のドリブルは、しばしば「手品」と評される。

しかしその魔術は、生まれ持った才能だけで成り立っているわけではない。神奈川県川崎市で育ち、川崎フロンターレのアカデミーで技を磨き、大学で「なぜ自分のドリブルは効くのか」を映像で研究し尽くした。本能と理論の両輪で、彼はピッチ上に独自の世界を築いた。

そして2022年、カタールの夜。彼の一歩が、わずか1ミリの差で日本中をひっくり返すことになる。

川崎で芽吹いた才能

1997年に生まれ、神奈川県川崎市で育った三笘薫は、兄の影響でサッカーを始めた。2007年、わずか10歳で川崎フロンターレのU-10アカデミーに加入する。地元のクラブで少年期から積み上げた時間が、後の土台となった。

鷺沼小学校、有馬中学校、橘高等学校と地元の学校で学びながらボールを蹴り続けた彼は、必ずしも順風満帆のエリート街道を歩んだわけではない。プロへの近道ではなく、自らの足元を見つめ直す道を選ぶことになる。

大学という「遠回り」が武器になった

2016年、三笘は筑波大学体育専門学群に進学した。多くの有望選手が高校卒業と同時にプロ入りを目指す中で、大学進学は一見「遠回り」に映る。だが彼にとって、この4年間は決定的な意味を持った。

筑波大学で彼が取り組んだのは、自らのドリブルを映像で分析し、「なぜ相手を抜けるのか」を理論として言語化することだった。感覚を理屈に落とし込む作業——それは天才肌の選手が普通やらないことだ。2017年に川崎フロンターレの特別指定選手として登録され、2019年9月、ルヴァンカップでついにJリーグデビューを果たす。遠回りに見えた道は、誰にも真似できない武器を彼にもたらしていた。

川崎での爆発、そしてヨーロッパへ

2020年、三笘は川崎フロンターレに正式にプロ入りする。そのシーズン、彼はJ1で13得点12アシストという衝撃的な数字を叩き出し、ベストイレブンに選出された。チームはリーグと天皇杯の2冠を達成し、彼はその中心にいた。

翌2021年、東京オリンピックの日本代表に選ばれ、さらにイングランドのブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンへ完全移籍する。ただし同シーズンはベルギーのユニオン・サン=ジロワーズへ期限付きで移籍し、ヨーロッパの舞台で揉まれることになった。11月にはA代表デビューも果たし、世界への扉が次々と開いていった。

「三笘の1ミリ」——世界が見た一歩

2022年、ブライトンでプレミアリーグデビューを果たした三笘は、同年のカタールワールドカップ日本代表に選出される。そして運命のスペイン戦が訪れた。

ゴールラインを割ったかに見えたボールに、彼は最後まで足を伸ばした。ギリギリ、本当にギリギリのところでボールはラインの内側に残っていた。そこから田中碧へと折り返されたパスがゴールへ。後に「三笘の1ミリ」と呼ばれるこのプレーは、世界中で話題となった。崖っぷちの状況で、あの一歩を冷静に踏み込める肝の据わり方——それは普通の選手のものではない。

静かな男の、大胆な二面性

ピッチを降りた三笘薫は、驚くほど物静かだ。オフは一人でいることを好み、趣味は音楽鑑賞やカラオケ、グルメ巡り。睡眠を大切にする、どこにでもいそうな青年の顔を持つ。ところがひとたびピッチに立てば、誰よりも大胆にディフェンダーへ仕掛けていく。このギャップこそが彼の魅力だ。

2023年には日本人初となるプレミアリーグ月間最優秀ゴール賞を受賞し、2024年には自身2度目の受賞を果たした。ブライトンの年間最優秀ゴール賞も2季連続で手にしている。同年には著書『VISION 夢を叶える逆算思考』を出版し、目標から逆算して今やるべきことを定める思考法を世に示した。陸上選手の剱持クリアと2022年に結婚し、私生活でも新たな一歩を踏み出している。

「今日のプレーで人生が変わる」——三笘薫が掲げるこの言葉は、彼自身の歩みそのものだ。遠回りに見えた大学での研究が世界に通用する武器となり、わずか1ミリの執念が日本中を熱狂させた。

左サイドでボールを持った彼を見ると、いつも「次に何かが起こりそうだ」という予感がする。その予感を裏切らないからこそ、私たちは彼から目を離せない。川崎発の魔術師は、これからも理論と本能の両輪で、私たちをワクワクさせ続けるだろう。