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あの旋律は、いつから日本人の記憶になったのか――作曲家・久石譲という現象

久石譲(作曲家・編曲家)の写真

テレビでジブリ作品が流れる。最初の数小節が鳴った瞬間、私たちはもう物語の入口に立っている。風が吹き、雲が流れ、誰かが空を見上げる――その情景を、音だけで立ち上げてしまう人がいる。久石譲。本名、藤澤守。1950年、長野県中野市に生まれた一人の作曲家は、半世紀をかけて、日本人の感情の奥底にまで届く旋律を書き続けてきた。

国立音楽大学の作曲科を出た若者が、なぜ「映画の音楽」という、当時はまだ脇役のように扱われた領域で世界に名を刻むことになったのか。そこには才能だけでなく、一つの出会いと、長く続いた信頼の物語がある。

須坂高校から国立音楽大学へ――静かに始まった音楽の道

久石は長野県須坂高等学校を経て、国立音楽大学の作曲科に進んだ。1974年に卒業。この時点での彼は、まだ広く知られた存在ではない。現代音楽やミニマル・ミュージックに傾倒し、自らの音を模索する日々が続いた。

転機は1981年、初のプロデュースアルバム「MKWAJU」の発表とともに訪れる。翌1982年には自身の事務所「ワンダーシティ」を設立し、活動の足場を固めていく。ちなみに「久石譲」という芸名は、敬愛するクインシー・ジョーンズの名をもじったものだという。真面目な表情の裏に、こうした遊び心を忍ばせているのが、この人らしい。

一本の映画が運命を変えた――『風の谷のナウシカ』

1984年、宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』。この作品の音楽を手がけたことが、久石譲の名を一躍世に広めた。広大な腐海、滅びと再生の物語に寄り添う旋律は、観客の心に深く刻まれた。

ここから始まる宮崎駿とのコンビは、日本映画史でも稀有な長期の共同作業となる。『となりのトトロ』(1988)、『もののけ姫』(1997)、『千と千尋の神隠し』(2001)、『ハウルの動く城』(2004)、『崖の上のポニョ』(2008)、『風立ちぬ』(2013)――そして2023年の『君たちはどう生きるか』。数十年にわたって積み重ねられた信頼が、あの「使い古されることのない温かさ」を音楽に宿している。

もう一つの顔――北野武と歩んだ静謐な世界

久石譲を語るとき、ジブリだけを見ていては半分しか見えない。映画監督・北野武との仕事もまた、彼の重要な軸である。

『あの夏、いちばん静かな海。』『ソナチネ』、そして1997年の『HANA-BI』。これらの作品で久石は、ジブリのきらびやかさとはまるで異なる、削ぎ落とされた静けさの音楽を提示した。『HANA-BI』では第22回日本アカデミー賞の最優秀音楽賞を受賞している。彼は同賞の最優秀音楽賞を1992年、1993年、1994年、1999年、そして2014年と、繰り返し手にしてきた。一つの作風に閉じこもらない柔軟さこそ、久石譲の強さである。

指揮台の上の情熱――ピアニストであり、指揮者であり

彼はピアノの前では穏やかな表情を見せる。だが指揮棒を握った途端、全身でオーケストラを率いる情熱の人へと姿を変える。作曲・編曲・指揮・ピアノ演奏を一身に引き受ける、稀有な総合的音楽家だ。

「イメージと音楽は対等である」――これは映画音楽についての彼の持論だという。音楽を映像に従属させるのではなく、対等な表現として向き合う。その姿勢が、彼の音楽を単なる「BGM」から、作品そのものの魂へと引き上げてきた。

世界が認めた、その仕事

2009年には紫綬褒章を受章。同年、彼が音楽に貢献した『おくりびと』が第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した。評価は国内にとどまらない。

2024年には『君たちはどう生きるか』で国際映画音楽批評家協会賞のアニメーション部門ベストオリジナルスコア賞を受賞し、さらにアニメーションへの傑出した貢献を讃えるアニー賞のウィンザー・マッケイ賞も手にした。同年、英国の名門ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のコンポーザー・イン・アソシエーションに就任。70歳を超えてなお、その活動の舞台は世界へと広がり続けている。

ナウシカの「ラーンラーンララ」から、ポニョの軽やかな足音まで。久石譲の旋律は、いつのまにか私たちの記憶のど真ん中に住み着いてしまった。それは押しつけがましさのない、しかし決して忘れられない音だ。

妻は国立音楽大学の同級生、娘の麻衣も歌手という音楽一家のなかで、彼は今も新しい曲を書き、世界中で指揮棒を振り続けている。私たちが一生かけて聴いても聴ききれないほどの宝物を、この人は静かに、しかし途切れることなく、世界に残し続けている。