氷の世界をくぐり抜けて——井上陽水、つかみどころのない天才の半世紀
歯科大学を三度受験して、三度とも落ちた青年がいた。福岡県の炭鉱町に生まれ、医者になることを期待されながら、その手はメスではなくギターを握っていた。やがて彼は上京し、芸名を二度変え、日本の音楽史を塗り替えることになる。
井上陽水。澄んだ高音と、聴き手をどこか別の場所へ連れ去る言葉を持つ男。フォークと呼ばれた時代に登場しながら、フォークの枠におさまることを最後まで拒んだ人だ。半世紀以上を経てなお現役であり続けるその存在は、つかみどころがないままに、確かに日本の耳の記憶に刻まれている。
炭鉱町の少年、医者になれなかった夢
井上陽水は1948年8月30日、福岡県嘉穂郡幸袋町、現在の飯塚市幸袋に生まれた。8歳上の姉と年子の妹に挟まれて育った。
進路として待っていたのは九州歯科大学だった。だが彼は三度受験し、三度とも不合格となる。歯科医という堅実な人生のレールから外れたとき、残っていたのはビートルズに憧れた音楽への情熱だけだった。福岡県立西田川高等学校を卒業し、大学進学を諦めた彼は、安定の代わりに不確かな音楽の道を選び、上京する。後から振り返れば、その三度の不合格こそが、日本の歌の風景を変える最初の分岐点だったのかもしれない。
「アンドレ・カンドレ」という回り道
1969年、彼はまず「アンドレ・カンドレ」という奇妙な芸名でCBSソニーからデビューした。シングル「カンドレ・マンドレ」。今となっては信じがたい名前だが、当時の彼はまだ自分の居場所を探していた。
転機は1972年に訪れる。本名の読みをそのまま芸名とした「井上陽水」名義に改め、シングル「人生が二度あれば」、そして1stアルバム『断絶』で再デビューを果たした。回り道の末にたどり着いたのは、結局、自分自身の名前だった。ここから、彼の本当の物語が始まる。
「氷の世界」、日本初の100万枚
1973年は井上陽水の年だった。「夢の中へ」「心もよう」が立て続けにヒットし、アルバム『氷の世界』がリリースされる。「探しものは何ですか」と優しく問いかける「夢の中へ」は、聴き手を巻き込みながら、答えを出させないまま漂っていくような不思議な歌だった。
そして『氷の世界』は、1975年に日本のレコード史上初めてLP販売100万枚を突破するという金字塔を打ち立てる。フォークの旗手と見られていた青年が、産業としての日本のポピュラー音楽の規模そのものを書き換えた瞬間だった。1972年のシングル「傘がない」は、社会の大問題よりも「君に逢いに行きたい、でも傘がない」という個人の感情を優先する歌詞で、時代の空気を一変させたとも言われる。
自分たちのレコード会社、そしてつまずき
1976年、井上陽水は吉田拓郎、かぐや姫、小室等とともにフォーライフ・レコードを設立する。アーティスト自身が自分たちの音楽の場を持つという、当時としては大胆な試みだった。
しかし1977年、彼は大麻所持容疑で逮捕され、執行猶予付きの判決を受ける。栄光の只中でのつまずきだった。それでも彼は音楽をやめなかった。1978年には歌手の石川セリと結婚(彼にとって2人目の妻)。やがて長女には歌手の依布サラサが生まれ、家庭と音楽はゆるやかに地続きになっていった。
「少年時代」が連れてくる夏
1980年代、井上陽水は新たな成熟を見せる。1984年のアルバム『9.5カラット』は第27回日本レコード大賞のアルバム大賞に輝き、彼に作曲賞ももたらした。「いっそ セレナーデ」のような、ためいきのように美しい曲が生まれたのもこの頃だ。
そして1990年、「少年時代」が世に出る。同名映画の主題歌として書かれたこの曲は、CMにも使われ、夏が来るたびに日本のどこかで流れる定番となった。1993年の「Make-up Shadow」はオリコン最高2位、80万枚を超えるヒットを記録し、彼が一過性の流行ではなく、何度でも蘇る歌い手であることを証明した。
サングラスの奥の飄々
井上陽水を語るとき、人はしばしばその「つかみどころのなさ」に行き着く。フォークだと思えばクセの強いメロディで裏切り、言葉遊びで煙に巻き、サングラスの奥で何を考えているのか見せない。歳を重ねても枯れず、飄々とした空気をまとい続ける。
同郷の福岡出身で親友のタモリと並ぶと、その不思議な脱力感は妙に腑に落ちる。彼は決して声高に何かを主張する人ではない。ただ、あの澄んだ高音で歌い出した瞬間に、聴き手の心の奥まで一気に冷えわたらせる——そういう種類の力を持った人なのだ。
歯科大学に三度落ちた青年は、結局、日本でいちばん多くの人の記憶に住む歌い手の一人になった。氷の世界をくぐり、栄光とつまずきを経て、それでも飄々と歌い続ける。
つかみどころがない、と人は言う。だがその「つかめなさ」こそが、半世紀以上にわたって井上陽水が古びなかった理由なのだろう。答えを出さず、ただ問いかけ、そっとどこかへ漂っていく。私たちはいまも、その背中を追いかけている。