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睨むだけで空気が変わる――仲代達矢、九十を越えても舞台に立ち続ける男の一生

仲代達矢(俳優・演出家)の写真

画面に仲代達矢が現れた瞬間、空気が変わる。底光りする目が一度こちらを射貫けば、観る側まで思わず背筋を伸ばしてしまう。それは演技というより、もはや存在そのものの圧だ。

1932年に東京・目黒に生まれ、戦後日本映画の黄金期をその身ひとつで駆け抜けた俳優。小林正樹、黒澤明という二人の巨匠の代表作で主演を張り、フランスからも芸術文化勲章を、日本からは文化勲章を受けた。だが彼の物語の核心は、栄光の数ではない。九十を越えてなお舞台に立ち続ける、その執念にある。

これは「生涯現役」という言葉を、文字どおり生き抜いた一人の役者の記録である。

友人のひと言から始まった

仲代達矢は大学に進まなかった。工業学校を経て定時制高校を卒業した若者を俳優の道へ押し出したのは、特別な才能の自覚ではなく、友人のさりげない勧めだった。

1952年、彼は俳優座演劇研究所付属俳優養成所の4期生として入所する。師は千田是也。最初の舞台はイプセンの「幽霊」のオスワル役だった。スポットライトを浴びる華やかな出発ではなく、地道な舞台の研鑽から、彼の役者人生は始まっている。映画界に本格的に足を踏み入れるのは、それから四年後の1956年のことだった。

「人間の條件」と「切腹」――小林正樹との時代

仲代を一躍時代の主演俳優に押し上げたのは、監督・小林正樹との出会いだった。1959年、戦争という巨大な暴力に抗いながら人間であろうともがく主人公・梶を演じた大作「人間の條件」。その壮絶な役は、若き仲代の名を決定づけた。

1962年の「切腹」では、武士の体面と組織の欺瞞を静かな怒りで剥がしていく浪人を演じる。声高に叫ぶのではなく、抑えた所作と眼差しで観る者を圧倒するその芝居は、後年の仲代スタイルの原型となった。同じ1961年には黒澤明の「用心棒」で拳銃を構える卯之助を演じ、悪役としても鮮烈な印象を残している。

黒澤明の「影武者」と「乱」

円熟期の仲代を世界に知らしめたのが、黒澤明との二作だった。1980年の「影武者」では、戦国大名と、その身代わりとなる盗賊という二役を一人で背負う。権力の虚構と、それに飲み込まれていく一人の人間の哀しみを、彼は壮大なスケールの中で演じきった。

そして1985年の「乱」。シェイクスピアの「リア王」を戦国の世に移した物語で、仲代は老いて全てを失っていく武将・一文字秀虎を演じる。狂気と威厳のあわいを行き来する圧巻の演技は、日本映画史に刻まれる名演となった。巨匠たちが最も信頼を寄せた俳優――それが仲代達矢だった。

無名塾――育てることへの執念

仲代の人生を語るうえで、俳優としての顔と並んで欠かせないのが「育てる人」としての姿だ。1975年、彼は妻で俳優・演出家の宮崎恭子とともに、私塾「無名塾」を創立する。名もなき若者を一から鍛え上げ、舞台へ送り出すための場だった。

ここから数多くの俳優が巣立っていった。第一線で主演を張り続けながら、同時に後進を育てることに半世紀を費やす。普通なら「もう十分だろう」となるところを、彼は止まらなかった。1996年、その無名塾を共に支えた妻・宮崎恭子を癌で失う。だが彼は塾を閉じることも、舞台を降りることも選ばなかった。

生涯現役という生き方

1992年にフランス芸術文化勲章シュバリエ章、1996年に紫綬褒章、2007年に文化功労者、そして2015年には文化勲章。栄誉は次々と彼の元へ訪れた。しかし仲代の凄みは、こうした勲章の重みよりも、それを受けてなお現場に立ち続けたことにある。

2010年、七十代後半で主演した「春との旅」では、衰えていく老人を静かに、しかし容赦なく演じた。九十を越えてなお舞台に立つその背中は、もはや色気や貫禄という言葉を通り越して、観る者を正座させる。芝居が好きで好きでたまらない――その一点だけで、彼はここまで来た。

仲代達矢の一生は、才能の物語であると同時に、執念の物語である。巨匠たちの傑作で主演し、無名塾で後進を育て、伴侶を失ってもなお舞台を選び続けた。その全てを貫いているのは、「役者であり続ける」という、ただひとつの意志だ。

画面の中であの目に睨まれると、こちらの背筋が自然と伸びる。日本にこの俳優がいてくれたこと――それ自体が、ひとつの幸運なのだと思う。