雨の音まで音楽にした男──坂本龍一、『教授』と呼ばれた音の旅人

ピアノが一音、また一音と落ちていく。それだけで、なぜこんなにも胸が締めつけられるのだろう。坂本龍一の音楽には、言葉では説明しきれない切なさと、果てしない静けさが同居している。
テクノポップの未来を作った男が、やがて世界中の映画館で観客を泣かせ、日本人で初めてアカデミー作曲賞を手にした。そして晩年には、雨の音や街の喧騒さえも音楽にしてしまう。『教授』と呼ばれた一人の作曲家がたどった、果てしなく長い音の旅をたどってみたい。
東京藝大が生んだ作曲家
坂本龍一は1952年1月17日、東京都中野区に生まれた。世田谷区立祖師谷小学校、同千歳中学校、東京都立新宿高等学校を経て、東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業し、同大学院修士課程を修了している。
本格的な音楽教育を背景に持つこの経歴こそ、のちに彼が『教授』というあだ名で呼ばれることになる土壌だった。知性と探究心は、生涯にわたって彼の音楽を駆動し続けることになる。
YMOとテクノの未来
1978年、坂本はソロアルバム『千のナイフ』を発表する。同じ年、細野晴臣からの誘いを受けて、高橋幸宏とともにYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)を結成した。
シンセサイザーが鳴らす未来的なサウンドは、日本のみならず世界の音楽シーンに衝撃を与えた。電子音が躍る音楽の最先端で、坂本龍一の名は一気に知られていく。まだ誰も聴いたことのない響きが、ここから世界へと広がっていった。
世界を泣かせた映画音楽
1983年、坂本は映画『戦場のメリークリスマス』の音楽を担当し、自らも俳優として出演した。あの哀切なメインテーマは、いまも世界中で愛され続けている。1984年には同作で英国アカデミー賞作曲賞を受賞した。
そして1987年、映画『ラストエンペラー』の音楽を手がけ、翌1988年、日本人として初めてアカデミー作曲賞を受賞する。同作では英国アカデミー賞に続きゴールデングローブ賞、グラミー賞をも受賞し、ピアノ一台でこれほどの切なさを描ける作曲家として、その名を世界に深く刻んだ。
癒しの音と社会現象
1999年、アルバム『ウラBTTB』がミリオンセラーを記録する。リゲインのCMにも使われた「energy flow」は、当時の日本に癒しブームを巻き起こす社会現象となった。難解とも言われる現代音楽の作曲家が、お茶の間にまで届いた瞬間だった。
商業的な成功と芸術的な深みを両立させながら、坂本は2006年に音楽レーベル commmons を設立し、自らの表現の場を広げていく。プライベートでは1982年に音楽家の矢野顕子と結婚し(2006年離婚)、娘の坂本美雨は音楽家、息子の空音央は映画監督として活躍している。
最後の音まで
2020年、坂本はがんと診断される。それでも彼は創作の手を止めなかった。晩年は病と向き合いながら、雨の音や街の音までも音楽として聴き取るような、新しい境地へと足を踏み入れていった。
2023年3月28日、坂本龍一は享年71で世を去った。その訃報が伝わると、世界中から追悼の声が一斉に押し寄せた。それは、彼がどれほど大きな存在であったかを、改めて静かに示すものだった。
音だけを残して、彼は逝ってしまった。けれどその音は、いまも世界のどこかで鳴り続けている。亡くなったとき世界中が一斉に追悼したという事実こそ、坂本龍一という人物の大きさを何より雄弁に物語っている。
テクノの未来から映画音楽の頂点、そして雨の音にたどり着くまで──『教授』の長い旅をもっと知りたくなったら、celeb-db のプロフィールページで彼の受賞歴やディスコグラフィを辿ってみてほしい。