「巨人・大鵬・卵焼き」——その真ん中に立っていた横綱

「巨人・大鵬・卵焼き」。子供が好きなものを並べたこの言葉を、今の世代が聞けば「なぜ卵焼きと並ぶのか」と首をかしげるだろう。だが、かつてこの三つは、老いも若きも誰もが愛するものの代名詞だった。そしてその真ん中に、一人の力士の名がある。
身長187センチ。土俵の上で圧倒的に勝ち続け、勝つことが当たり前になりすぎて、「負けると一番のニュースになる」とまで言われた男。それが大鵬幸喜である。
これは、相撲そのものと言ってよいほどの存在になった、一人の横綱の物語だ。
「卵焼き」と並んだ名前
大鵬幸喜は1940年5月29日に生まれた。彼の名が国民的な人気の象徴として語られるとき、必ず持ち出されるのが「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉である。
プロ野球の巨人軍、そして子供の弁当に欠かせない卵焼きと並べられる——それは、彼の人気が一部の相撲ファンにとどまらず、世代も性別も超えて日本中に広がっていたことの何よりの証拠だ。スポーツ選手が、食べ物や球団と同じ列で「みんなが好きなもの」として語られる。そのスケールの大きさは、ちょっと想像が追いつかないほどである。
力でねじ伏せない、横綱相撲
ただ人気があっただけではない。土俵の上の大鵬は、力でゴリ押しするタイプではなかったと伝えられる。相手の攻めをすっと受け止め、滑らかに、危なげなく勝つ。いわゆる「横綱相撲」の体現者だった。
強さに品があった、と言ってもいい。荒々しく押し倒すのではなく、余裕すら感じさせる勝ち方。187センチの堂々たる体躯から繰り出される取り口は、強いだけでなく、見る者を惚れ込ませる美しさを備えていた。
勝って当たり前という重圧
「負けると一番のニュースになる」——これは、勝つことが完全に前提とされていたことを意味する。勝っても話題にならず、負けてはじめて世間が騒ぐ。その重圧の大きさは、並のものではない。
毎場所、ただ勝つだけでは誰も驚かない。当たり前を当たり前にこなし続けることの難しさを、彼は最も過酷な形で背負っていた。最強であり続けるとは、勝利の喜びよりも、敗北の許されない緊張のなかに立ち続けることだったのかもしれない。
没後に贈られた、国民栄誉賞
大鵬は数々の栄誉を受けている。2004年に紫綬褒章、2009年に文化功労者。さらにウクライナ三等功労勲章も受章している。
そして2013年1月19日に世を去ったのち、国民栄誉賞が贈られた。亡くなってなお国がその名を讃えたという事実は、彼がただ強かっただけの力士ではなかったことを物語る。強さと、それに釣り合うだけの愛され方。その両方を備えていたからこそ、人々は彼を忘れなかったのだ。
記録のうえでも記憶のうえでも、大鵬幸喜は相撲史に屹立する横綱の一人である。「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉は、今や昭和という時代そのものを思い出させる合言葉になった。
187センチの大きな背中が、土俵の中央で静かに、しかし圧倒的に立っていた——その姿を直接見られなかったことを、惜しく思う人は今も少なくない。