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返り咲きの宰相――安倍晋三という時代

安倍晋三(政治家)の写真

一度退いた者が、もう一度頂へ戻る。政治の世界でそれを成し遂げる人間は、そう多くない。安倍晋三は、その稀有な一人だった。

1954年9月21日、東京・新宿に生まれた彼は、やがて戦後日本でもっとも長く総理大臣の座にあった政治家として記憶されることになる。だが、その道のりは決して一直線ではなかった。むしろ、いったん閉じたはずの扉をこじ開けて戻ってきた、という劇的な物語こそが、彼を語るうえで欠かせない。

そして2022年7月8日、奈良での街頭演説のさなかに凶弾に倒れるという、誰もが望まなかった終わり方が、彼の名をいっそう重く歴史へ刻みつけた。

成蹊からの出発

安倍晋三は成蹊中学校・高等学校に学び、成蹊大学へと進んだ。華やかな政界の表舞台に立つ以前の彼は、ごく普通の学生時代を過ごした一人の青年だった。

だが、彼が背負っていくことになる「国の形をどう描くか」という問いは、後年の彼の言動を貫く一本の芯となっていく。学び舎での日々は、その芯の最初の土台となった。

いったん閉じた扉

安倍は2007年に総理大臣を退いた。一度は「ここで終わりかもしれない」と多くの人に思われた瞬間だった。政治の世界では、表舞台から去った者が再び中心へ戻るのは容易ではない。

しかし彼は、その常識をくつがえした。2012年、安倍は再び総理大臣の座に返り咲く。一度退いた者の、二度目の登壇。この返り咲きこそが、彼の政治家としての強靭さを最もよく物語っている。

もっとも長く座った椅子

二度目の政権は長く続いた。結果として安倍晋三は、戦後日本でもっとも長く総理大臣を務めた人物となる。

長期にわたる在任は、ひとつの「時代」を形づくった。賛否は当然あった。彼の政策や姿勢をめぐる議論は、今なお尽きることがない。だが、彼が一つの時代を背負って立っていたという事実そのものは、誰にも動かせない。

世界の舞台での距離の詰め方

安倍を語るとき、外交の場での独特の振る舞いを抜きにはできない。各国の首脳と握手を交わし、ゴルフをともにし、付き合いにくいとされる相手とも妙にウマを合わせていく――そのやり方は、まるで人懐っこい距離の詰め方のようでもあった。

その姿勢が国際社会でどう評価されたかは、彼に贈られた数々の勲章にもうかがえる。2017年のイサベル・ラ・カトリカ勲章大十字章、2018年のウルグアイ東方共和国勲章、そしてフィリピンのシカツナ勲章。米誌「タイム」の世界に影響を与えた100人にも、2014年と2018年の二度選ばれている。

「美しい国へ」――信じた国の形

安倍は政治家であると同時に、自らの考えを言葉にして残す人でもあった。著書「美しい国へ」では、彼が思い描く国の姿が率直に語られている。

賛同するか否かは別として、そこには「自分はこういう国を信じている」という芯の通った主張があった。政治・経済部門でベストドレッサー賞を二度受けたように立ち姿にも独特の存在感があったが、彼の本質はやはり、信じるものを臆さず語る政治家だった点にあったのだろう。

2022年7月8日、奈良で街頭演説の最中に安倍晋三は凶弾に倒れた。あまりに突然で、あまりに暴力的な幕切れだった。それは誰も望まなかった終わり方であり、多くの人の胸を今なお痛ませている。

一度退き、もう一度立ち上がり、戦後最長という記録とともに一つの時代を背負った政治家。賛否のすべてを引き受けながら、安倍晋三は確かにその時代の中心にいた。彼が残した足跡は、好むと好まざるとにかかわらず、長く語り継がれていくに違いない。