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鉛筆を手放せない巨匠──宮崎駿、「やめる」と言っては戻ってくる

宮崎 駿(映画監督・アニメーション作家)の写真

白髪に丸眼鏡、そしてエプロン姿。たったこの一枚の像だけで、世界中の多くの人が一人の人物を思い浮かべる。宮崎駿――スタジオジブリの作品を通じて、日本のアニメーションを世界の芸術へと押し上げた監督である。

1941年1月5日、東京に生まれた彼は、半世紀以上にわたって「手で描く」ことへの執念を燃やし続けてきた。空を飛ぶもの、豊かな自然、そして世界をまっすぐ見つめる子どもたち。同じ主題を飽きることなく掘り下げ続けたその歩みは、不器用なまでに一途な、一人の作家の人生そのものだ。

一枚の絵から始まった

宮崎のキャリアは、華やかな監督業からではなく、地道なアニメーターとして始まった。学習院大学の政治経済学部を卒業した彼は、1963年に東映動画(現・東映アニメーション)へ入社する。

学生時代にアニメーション映画に心を打たれ、制作の道を志した青年は、ここで一枚一枚の絵に命を吹き込む技術を磨いていく。のちにAプロダクションや日本アニメーションなどを渡り歩きながら、彼の表現は少しずつ確かな形をとっていった。

ジブリ設立と黄金期

1979年、初の劇場監督作『ルパン三世 カリオストロの城』を世に送り出すと、1984年には『風の谷のナウシカ』を公開。その翌1985年、盟友・高畑勲らとともにスタジオジブリを設立する。

ここから宮崎の黄金期が幕を開ける。『となりのトトロ』『魔女の宅急便』『もののけ姫』――プロデューサーの鈴木敏夫、音楽の久石譲という長年の協働者とともに、彼は次々と時代を象徴する作品を世に放っていった。

世界が認めた『千と千尋の神隠し』

2001年に公開された『千と千尋の神隠し』は、国内歴代興行収入の金字塔となった。

さらにこの作品は、世界の評価をも一変させる。2002年にはベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞し、翌2003年には米アカデミー賞の長編アニメ映画賞に輝いた。日本のアニメーションが世界映画の頂点で正式に認められた瞬間だった。2005年にはヴェネツィア国際映画祭で栄誉金獅子賞も贈られている。

「引退」と「撤回」を繰り返す人

宮崎を語るうえで欠かせないのが、たびたびの「引退宣言」だ。2013年、『風立ちぬ』の公開後に長編からの引退を表明したときも、多くの人がその言葉を真剣に受け止めた。

ところが彼は、しばらくすると引退を撤回し、2023年に『君たちはどう生きるか』を発表する。同作は2024年にゴールデングローブ賞とアカデミー賞の長編アニメ映画賞を受賞。創ることをやめられない作家の姿が、また一つ証明された瞬間だった。

効率の時代に手仕事を貫く

宮崎の物語は、決して善と悪をすっきり分けてはくれない。観終わったあとに何度も問い直したくなるその奥行きこそが、彼の作品が長く愛され続ける理由だ。

航空機への深い関心や自然への愛着は、作品のいたるところに息づいている。便利で速いものが尊ばれる時代に、あえて手間のかかる手描きの手法を頑固に貫く姿勢は、彼の作家性そのものを物語っている。2012年には文化功労者に、2014年には米アカデミー名誉賞に選ばれ、その功績は名実ともに讃えられた。

日本のアニメーションを世界へと運んだ功績は、いくら感謝しても足りないほど大きい。そして何より、「もうやめる」と言いながら、創ることへの情熱を手放せずにいるその人間味こそが、作品と同じくらい私たちの心を打つ。

宮崎駿の歩んだ全フィルモグラフィーと受賞の軌跡は、celeb-dbのプロフィールでじっくりたどることができる。