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白鳥麗子から日本一の女優へ――宮沢りえ、振り幅という名の才能

宮沢りえ(女優・モデル)の写真

練馬で生まれた日蘭ハーフの少女

父はオランダ人、母は日本人。両親は本人が幼いころに離婚し、父との交流はないという。練馬区立大泉学園緑小学校から大泉学園中学校へと進み、高校・大学には進学しなかった。

1984年ごろ、モデルとしてキャリアをスタート。1985年には明星食品「チャルメラ」のCMで芸能活動を本格化させる。そして1987年、三井のリハウスの白鳥麗子役で一躍時代の顔となった。

異国の華やかさと、下町・練馬の気っぷの良さ。この不思議に同居した二面性が、後年まで彼女の最大の武器となっていく。

アイドルの頂点と、社会現象

1988年、映画『ぼくらの七日間戦争』に主演し女優デビュー。翌1989年には日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞する。人気は加速し、彼女は一時代を象徴する存在となった。

1992年には大相撲の横綱・貴乃花光司との婚約を発表(翌1993年に解消)。1993年のヘアヌード写真集『Santa Fe』は社会現象を巻き起こし、1994年には宝酒造のCM台詞「すったもんだがありました」が新語・流行語大賞の年間大賞に輝いた。

時代の渦の中心にいた数年間。だが、その熱狂のままに消費されて終わる道を、彼女は選ばなかった。

演技で頂点へ――三度の最優秀主演女優賞

2002年、山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』に主演。翌2003年、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を初めて受賞する。同じ作品で真田広之も最優秀主演男優賞を獲っており、二人の名は同じ年の頂点に並んだ。

2002年にはモスクワ国際映画祭で最優秀女優賞、2005年には『父と暮らせば』でブルーリボン賞主演女優賞。そして横領に手を染める銀行員を演じた『紙の月』(2014年)、血のつながらない家族の絆を描いた『湯を沸かすほどの熱い愛』(2016年)で、彼女は二度、三度と日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を重ねた。

可愛い、綺麗を通り越して、観る者の胸ぐらを掴むような芝居。坂東玉三郎に舞台で鍛えられた所作も、その厚みを支えていた。

画布とワインと、ひとりの人間として

スクリーンの外の宮沢りえも、また豊かだ。アクリル絵の具で大作を描き、ペンスケッチを重ね、本と言葉と辞書を愛する。ワイン、シャンパン、日本酒、焼酎をたしなみ、自宅にはワインセラーを構える。

私生活では、2009年に一般男性と結婚して長女を出産、2016年に離婚。2018年には俳優の森田剛と再婚し、夫が宮澤姓に改めた。2014年には母・光子を亡くしている。

祖父直伝の、水を使わず玉ねぎのエキスで煮るという牛丼を好む――そんな素顔のディテールが、銀幕の存在感とふと地続きになる瞬間がある。

アイドルとして消費されてもおかしくなかった少女が、演技で日本の頂点まで上り詰めた。その振り幅の大きさこそが、宮沢りえという人の最大の才能なのかもしれない。

年齢を重ねるほどに役の奥行きを増していく女優。同じ時代に彼女の芝居を観られること自体が、ひとつの幸運だと思わせてくれる稀有な存在である。