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一発屋から「茶の間の支配者」へ――有吉弘行、立て直しの職人芸

ヒッチハイクでユーラシア大陸を横断させられ、デビュー曲がミリオンセラーになり、誰もが「一発屋まっしぐら」だと思った。それが解散し、干され、ボロボロになってから、毒舌をひっさげて這い上がってきた――有吉弘行の人生は、一度どん底を見た男の、執念の再起の物語である。

広島県安芸郡熊野町に生まれた一人の青年は、栄光と転落と復活を、まるで台本のようにくぐり抜けてきた。気がつけばどの局を回しても司会を務め、いまや茶の間の空気そのものを握る存在だ。鋭い毒を吐くのに、なぜか嫌味にならない。その不思議な愛嬌の奥にある、負けない男の歩みを追う。

広島の高校生、上京を決める

有吉弘行は1974年5月31日、広島県安芸郡熊野町に生まれた。広島県立熊野高等学校の普通科を卒業後、大学には進学していない。

1994年、高校の同級生だった森脇和成とお笑いコンビ「猿岩石」を結成し、二人は夢を抱いて上京する。そして1995年、太田プロダクションの新人オーディションに合格し、正式にデビューを果たした。地方の高校生コンビが、芸能の世界へ足を踏み入れた瞬間だった。

大陸を横断した、まさかのブレイク

転機は突然訪れる。1996年、日本テレビ系『進め!電波少年』のユーラシア大陸横断ヒッチハイク企画に投入された猿岩石は、一気に国民的な人気を獲得した。

その勢いのまま発表したデビューシングル『白い雲のように』はミリオンセラーを記録。芸人としてのキャリアもまだ浅い若者が、突如として時代の寵児になったのである。だが、あまりに鮮烈すぎる成功は、しばしば残酷な反動を伴うものだった。

解散、そしてどん底からの再出発

2004年、猿岩石は解散する。栄光の絶頂を知った男にとって、その後に待っていたのは厳しい時期だった。有吉はピン芸人として、ゼロからの再出発を強いられる。

復活の足がかりとなったのが、テレビ朝日『内村プロデュース』への出演だった。ここから有吉は、武器を「毒舌」へと定める。共演者にあだ名を付け、鋭く切り込む芸風。一発屋として消えかけた男は、誰もが手を出さなかった「毒」を磨くことで、自らの居場所を取り戻していった。

毒舌王、全局を制す

2013年、『有吉反省会』『有吉ゼミ』など複数の冠番組が次々とスタート。同年と翌2014年には『IPPONグランプリ』で連覇を達成し、瞬発力の高さも証明してみせた。

2018年の『かりそめ天国』、2019年の『有吉の壁』、そしてNHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』。2019年には主要全局に冠番組を持つ芸人となった。『有吉の壁』は2020年にギャラクシー賞テレビ部門を受賞。鋭く毒を吐くのに、芯にある愛ゆえに嫌味にならない――その絶妙なバランスが、彼を茶の間の中心へと押し上げた。

紅白の司会、そして人生の立て直し

2021年、有吉はフリーアナウンサーの夏目三久と結婚。2024年には第一子の誕生を公表し、私生活でも新たな章を迎えた。

そして2023年、第74回NHK紅白歌合戦で司会を務め、かつてのミリオンヒット『白い雲のように』を藤井フミヤらと歌唱した。一発屋と笑われた曲を、こんどは紅白の大舞台で堂々と歌う。あんなに落ちて、あんなに言いたい放題やって、最後は紅白の司会にまでたどり着く――その人生の立て直し方は、もはや職人芸の域である。

著書『お前なんかもう死んでいる プロ一発屋に学ぶ「生き残りの法則50」』『嫌われない毒舌のすすめ』にも、どん底を知る男ならではの哲学がにじむ。約200万人のフォロワーを抱え、広島東洋カープの観戦を愛する、根っからの広島人でもある。

一発屋を笑える側まで戻ってきた男――有吉弘行。落ちることを知っているからこそ、その毒には不思議と温度がある。負けない男のしぶとさは、いまも日本のテレビのまんなかで、静かに、そして確かに輝いている。