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九敗のための一勝――宇部の紳士服屋から世界の柳井正へ

柳井正(実業家・経営者)の写真

山口県宇部市。瀬戸内に面したこの地方都市で、ひとりの男が父の営む小さな紳士服店を継いだ。1972年、早稲田大学を出てジャスコにいったん就職したものの、わずか九ヶ月で辞めて家業に戻った二十三歳の青年である。名を柳井正という。

それから半世紀あまり。いまや世界のどの都市に降り立っても、ユニクロの看板を目にしないことのほうが難しい。冬になれば人々は当たり前のようにヒートテックを着込み、休日にはフリースを羽織って街を歩く。地方の一商店から世界最大級のアパレル帝国へ――この飛躍は、いったいどんな男の頭の中から生まれたのか。

その答えのひとつが、彼自身の手による一冊のタイトルに凝縮されている。「一勝九敗」。

宇部の家業を継ぐまで

柳井正は1949年2月7日、山口県宇部市に生まれた。地元の桃山中学校、宇部高校を経て早稲田大学政治経済学部に進み、1971年に卒業。最初に就いた仕事はジャスコ(現在のイオンリテール)だったが、組織のなかで働く性分に合わなかったのか、わずか九ヶ月ほどで退職してしまう。

翌1972年、彼は父が経営する小郡商事に入社する。家業継承という、いかにも地味で堅実な選択だった。だがこの宇部の紳士服店こそが、後に世界を相手にする巨大企業の出発点になる。当時の彼自身が、その未来をどこまで思い描いていたかは分からない。

ユニーク・クロージング・ウエアハウスという賭け

転機は1984年に訪れる。柳井は小郡商事の社長に就任し、その年、広島市に一号店を開いた。店の名は「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」。これを縮めた呼び名が、のちに世界中で知られることになる「ユニクロ」である。

倉庫のように衣料品を積み上げ、客がセルフサービスで自由に手に取る――従来の紳士服店とはまるで異なる発想だった。1991年には社名を株式会社ファーストリテイリングに変更し、紳士服店からカジュアルウェアの企業へと舵を切る。1994年に広島証券取引所、1999年には東京証券取引所第一部に上場。地方発のベンチャーは、瞬く間に全国区へと駆け上がっていった。

「一勝九敗」という哲学

柳井の経営を語るうえで欠かせないのが、失敗を恐れない――いや、失敗を前提にする姿勢だ。2003年に出した著書のタイトルがそのまま、「一勝九敗」。九回コケても、一回大きく当てればいい。挑戦の数だけ失敗があり、その失敗のなかからしか勝ちは生まれない、という割り切りである。

多くの経営者が失敗を隠そうとするなかで、彼はそれを堂々と本のタイトルにしてしまった。2009年には「成功は一日で捨て去れ」、2012年には「現実を視よ」、2015年には「経営者になるためのノート」と、自らの経営哲学を惜しみなく言葉にしてきた。「人生でいちばん悔いが残るのは、挑戦しなかったことです」――この一言に、彼の生き方が集約されている。

世界が認めた経営者

その実績は国内にとどまらない。2000年に日本PR大賞パーソン・オブ・ザ・イヤー、2013年にはタイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出され、2017年にはアジア・ゲーム・チェンジャーズ・リストにも名を連ねた。日本一の富豪として、長者番付の常連でもある。

2002年に代表取締役会長へ退いたが、2005年には会長兼社長として現場に復帰。経営の最前線に立ち続けている。長男の一海、次男の康治もファーストリテイリングの取締役を務め、企業は次の世代へと受け継がれつつある。それでもなお、本人は満足した顔を見せない。

地方の小さな紳士服店を継いだ青年が、世界中で着られる服をつくる企業を築き上げた。その道のりは、決して一直線の成功譚ではない。むしろ無数の失敗の積み重ねであり、それを恐れずに次へ進み続けた執念の物語だ。

日本一の富豪と呼ばれてなお「まだ全然あかん」とでも言いたげな表情を崩さないところに、柳井正という経営者の底知れなさがある。冬の朝、ヒートテック一枚で暖かく過ごせるこの当たり前は、宇部から始まった一人の男の九敗と一勝の上に成り立っている。