世界を上向かせた男——永六輔と「上を向いて歩こう」

誰もが口ずさめるのに、書いた人の名前はあまり知られていない歌がある。「上を向いて歩こう」。涙がこぼれないように顔を上げて歩く、あの切なくも前を向いた一曲だ。
この詞を書いたのが永六輔である。1933年、東京に生まれ、2016年に世を去ったこの人物は、作詞家であり、放送作家であり、テレビ・ラジオの司会者であり、タレントでもあった。一人で何人ぶんもの仕事をこなしたような、稀有な多面体だった。
そして彼の言葉は、本人がほとんど知られないまま、海を越えて世界中の人々の耳に届いていた。
東京に生まれて、早稲田へ
永六輔は1933年4月10日、当時の東京府東京市に生まれた。星座は牡羊座、干支は酉。のちに早稲田大学で学んでいる。
彼が育ち、活躍した時代は、日本のテレビとラジオがまさに黎明期にあった頃と重なる。放送という新しいメディアが社会に根を下ろしていく現場を、彼は走り回りながら作り手として生きた。テレビ司会者、作詞家、放送作家、タレント——肩書きが多いのは、メディアそのものが急速に広がっていく時代の只中にいた証でもある。
「SUKIYAKI」になった歌
永六輔の名を不滅にしたのは、なんといっても「上を向いて歩こう」だ。この曲は海を渡り、1963年にアメリカで「SUKIYAKI」という不思議なタイトルのもと、ビルボードチャートで1位を獲得した。日本語の歌として全米チャートの頂点に立ったのは、後にも先にもこの一曲だけである。
考えてみれば途方もないことだ。詞を書いた本人の名前を知らないまま、世界中の人々がこのメロディーに口ずさみ、そっと顔を上げていた。彼の天才は、その簡潔さの中にこそあった。わずかな言葉、ひとつの気分、上を向くという姿勢。それだけで世界が動いたのだ。
縁側の兄ちゃんのような語り口
永六輔は一曲の人ではない。彼はその後何十年にもわたって、放送作家として、ラジオの語り手として、日本の人々に語りかけ続けた。
その語り口には毒があり、同時に愛嬌があった。ラジオから流れてくる彼の声を聴いていると、近所の物知りな兄ちゃんと縁側で世間話をしているような、不思議な親しみが湧いてくる。大きな仕事を成し遂げながら、決して偉そうにしない。その距離の近さこそが、長く愛された理由だった。
評価を軽やかにまとった人
2000年、永六輔は菊池寛賞を受賞している。これは日本の文化・出版・放送の分野で大きな功績を残した人に贈られる賞であり、彼の長年の仕事への確かな評価だった。さらにゴールデン・アロー賞も受けている。
しかし、これだけの実績を持ちながら、彼は肩肘を張らなかった。賞も名声も、まるで上着のように軽やかに羽織っていた。粋に、飄々と、良いものを残していく——それが永六輔という人の流儀だったのだろう。
2016年7月7日、永六輔はその生涯を閉じた。だが、彼が遺した「上を向いて歩こう」は、いまも世界のどこかで誰かに口ずさまれ、誰かの顔を上向かせている。
自分の名は知られなくても、世界中の人々をそっと前向きにする——これほど豊かなレガシーがあるだろうか。永さん、たくさんの良い仕事をありがとう、と言いたくなる人である。