子役から名優、そして監督へ ― 津川雅彦が歩んだ芝居一筋の生涯

ひとりの俳優が、子役として人生の幕を開け、半世紀以上にわたって銀幕に立ち続け、最後には自らメガホンを握る監督にまでなる。そんな物語は、もはやそうそう生まれるものではない。
津川雅彦。1940年1月2日、京都に生まれ、2018年8月4日に78年の生涯を閉じた。品のいい二枚目も、妙に憎たらしい悪役も、どちらも自在に演じきったその幅の広さは、一朝一夕で身につくものではない。芝居とともに育ち、芝居とともに老いた、生粋の役者の人生だった。
京都に生まれて ― 子役という出発点
1940年、京都市に生まれた。山羊座、干支は辰。古都の空気のなかで育った彼は、子役として早くから芝居の世界に足を踏み入れる。
子どもの頃から撮影現場という特殊な空間で過ごすことは、ほかの誰も真似できない財産になる。理屈ではなく身体で芝居を覚え、カメラの前に立つことが日常になる。津川雅彦の演技の根っこには、この幼い日々の蓄積が静かに横たわっていた。
二枚目も悪役も ― 並外れた振れ幅
彼の最大の魅力は、その演技の振れ幅にある。品のいい二枚目を演じれば観る者を惚れ込ませ、いざ悪役を演じれば、思わずブーイングを送りたくなるほど憎たらしい男に化ける。しかも、そのどちらもがまるで地のように自然だった。
役者としての引き出しの多さは、長年の経験の証だ。一つの型に収まらず、振り幅の大きな役を行き来できる俳優は決して多くない。彼はその稀有な一人として、日本映画とテレビの舞台で長く重宝され続けた。
芝居だけの人ではなかった ― 評論家としての顔
津川雅彦は、俳優としての顔だけを持つ人ではなかった。テレビでは評論家として、世の中のあれこれにズバズバと物申す姿でも知られていた。
自分の意見を持ち、それを隠さずに口にする。その率直さは、彼が単なる「芝居だけの人」ではなかったことを物語っている。演じる側の機微を知り尽くしながら、外から物事を論じる視点も併せ持っていた。多面的な知性が、彼という人物の奥行きを形づくっていた。
国が認めた仕事 ― 紫綬褒章と旭日小綬章
彼の歩みは、確かな評価とともにあった。1982年にはブルーリボン賞の助演男優賞を受賞。ゴールデン・アロー賞にも輝いている。
そして2006年には紫綬褒章、2014年には旭日小綬章を受章した。これらの栄誉は、一過性の人気とは異なる。長い年月にわたって誠実に良い仕事を積み重ねてきた者にだけ、国がそっと差し出す敬意の証である。彼の生涯が、その敬意に値するものであったことを、これらの勲章は静かに告げている。
子役から始まり、名優として円熟し、監督にまで至った芝居一筋の人生。2018年、78歳でこの世を去ったとき、日本はひとりのかけがえのない大人の役者を失った。
一本筋の通った、品と凄みを併せ持つ俳優。そういう存在は、これからますます稀になっていくのかもしれない。だからこそ、津川雅彦が残した仕事は、これからも長く語り継がれていくだろう。