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広島から来た男が「YAZAWA」になるまで――矢沢永吉という生き方

ステージの上で、白いタオルが宙を舞う。客席へ放られたそれが、何千という手によって投げ返される。理屈ではない一体感が会場を満たすその瞬間、誰もがひとつの名前を口にしている。矢沢永吉。あるいは、彼自身がそう呼ぶように――YAZAWA。

普通の人間が自分のことを三人称で「YAZAWA」と呼べば、ただの痛い冗談で終わる。だが彼が真顔でそれを口にすると、なぜか名言になってしまう。それは数十年かけて積み上げた実績と、一切ぶれなかった生き方が、その二文字に重みを与えているからだ。

広島の片隅に生まれた一人の少年が、裸一貫で東京に出て、日本のロックそのものを切り拓いた。これはその道のりの物語である。

仁保の少年、東京を目指す

矢沢永吉は1949年9月14日、広島県広島市仁保(現在の南区)に生まれた。広島市立大芝小学校、中広中学校を経て、広島電機大学附属高校(現・広島国際学院高校)に学ぶ。大学へは進学しなかった。

1968年、高校を卒業すると、彼は迷わず上京する。目指すのはミュージシャンの道。後ろ盾も保証もない、文字どおりの裸一貫だった。後年「成りあがり」というたった一言で語られることになるその出発点に、彼はためらいなく足を踏み出した。

キャロル――反逆のロックンロール

1972年、矢沢はロックンロールバンド「キャロル」を結成し、リーダー兼ベース・ボーカルとしてシングル「ルイジアンナ」でメジャーデビューを果たす。リーゼントに革ジャンという出で立ち、剥き出しのロックンロール。それは当時の日本の音楽シーンに突きつけられた、まぎれもない反逆だった。

キャロルは熱狂的な支持を集めたが、その勢いのまま1975年に解散する。短くも鮮烈なバンドの時代は終わった。だが矢沢にとって、それは終わりではなく、もう一段上のステージへの入口だった。

ソロ、そして武道館の伝説

キャロル解散と同じ1975年の秋、矢沢はシングル「アイ・ラヴ・ユー、OK」でソロデビューする。そして1977年、日本人ソロロックアーティストとして初めて日本武道館の舞台に立った。

この武道館が、彼の伝説を象徴する場所になる。2007年には公演通算100回という前人未到の記録を達成。さらに2024年には150回に到達した。150回という数字は、ただの統計ではない。何十年ものあいだ、あのテンションでステージに立ち続けたという証明であり、ほとんど人間離れした持続力の記録なのだ。

「成りあがり」と「時間よ止まれ」

1978年は矢沢にとって特別な年だった。シングル「時間よ止まれ」がミリオンセラーを記録し、後楽園球場での公演も実現する。

そして同年、自叙伝「成りあがり」が100万部を突破した。広島から東京へ、無名から頂点へ――その軌跡をまっすぐに語ったこの本は、日本のロック界のみならず、自己啓発の名著として今も読み継がれている。「この本で人生が変わった」と語る人は、世代を超えて後を絶たない。

独立、そして衰えぬ記録

ワーナー・パイオニア、ソニー・ミュージック、EMIと渡り歩いた矢沢は、やがて自社レーベル「GARURU RECORDS」を運営し、完全に独立した存在となる。誰にも頼らず、自分の足で立つ。それは彼の生き方そのものの延長線上にあった。

2013年にはオールタイムベストがオリコン週間1位を獲得。2019年にはアルバム「いつか、その日が来る日まで...」が初登場1位を記録し、最年長での1位獲得という新記録まで打ち立てた。70歳を目前にしてなお、頂点に立ち続けたのである。

「てめぇの人生なんだから。てめぇで走れ。」――これは矢沢永吉の座右の銘であり、彼の人生そのものを要約した一行でもある。

広島の少年が、自分を「YAZAWA」と呼べる域にまで自らを押し上げた。その過程で彼が証明したのは、生き方そのものがロックでありうるということだった。タオルが舞い、客席が沸くあの光景の向こうに、いまもひとりの男が全力でステージに立っている。