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肩書きを手放さない男――笑福亭鶴瓶という「人懐っこさ」の正体

笑福亭鶴瓶(落語家・タレント)の写真

テレビをつければ、あのクシャッとした笑顔が必ずどこかにいる。森田一義アワーでも、見知らぬ家の縁側でも、深夜のスタジオでも、彼は同じ顔で笑っている。けれど、その笑顔の奥には、もう半世紀以上ぶれない一本の芯が通っている。

「テレビに出てますけど、落語家です」。笑福亭鶴瓶は、自分を語るときに必ずこう言い切る。タレントとして、俳優として、司会者として日本中に顔を知られながら、彼が最後まで手放さなかったのは、たった一枚の座布団だった。

大阪市平野区に生まれた駿河学という一人の青年が、どうやって「人間が好きな人」の代名詞になっていったのか。その道のりは、笑いと人情が交互に押し寄せる、長い長い高座のようでもある。

京都の学生から、松鶴の十一番弟子へ

1951年12月23日、大阪府中河内郡長吉村――現在の大阪市平野区――に生まれる。本名は駿河学。大阪府立浪速高校から京都産業大学経済学部へ進むが、彼の心を捉えていたのは経済学ではなく落語だった。高校・大学時代の落語研究会での日々が、その後の人生をまるごと決めてしまう。

大学を中退し、1972年2月、六代目笑福亭松鶴に入門。十一番目の弟子として「笑福亭鶴瓶」の芸名を授かり、同年、上方落語協会に登録した。豪快で知られた名人・松鶴のもとで、彼は上方落語の世界に足を踏み入れる。当初の前座名は「童亭無学」。学を捨てて無学になる――その名前が、机上の学問より人と向き合うことを選んだ青年の出発点を象徴しているようでもある。

テレビが見つけた、規格外の人懐っこさ

1974年に松竹芸能へ所属すると、鶴瓶の活躍の舞台は寄席を飛び出していく。1980年代、テレビの世界が彼の規格外の人懐っこさを放っておかなかった。

1987年、フジテレビ「森田一義アワー 笑っていいとも!」のレギュラーに。同年には上岡龍太郎との「鶴瓶上岡パペポTV」が始まる。台本なし、二人の即興トークだけで成立するこの番組は、数々の名言を生み、関西の伝説となった。そして1996年、NHK「鶴瓶の家族に乾杯」が放送開始。見知らぬ町を歩き、知らない家の戸を叩き、気づけば台所で一緒に飯を食っている――誰にでもできそうで、誰にもできないこの芸当が、鶴瓶という人を全国の茶の間に深く刻み込んだ。

高座を背負って、スクリーンへ

テレビで笑いを振りまく一方、鶴瓶はもう一つの顔を磨いていた。俳優・笑福亭鶴瓶である。

2009年、西川美和監督「ディア・ドクター」で主演を務め、第33回日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞。翌2010年には山田洋次監督「おとうと」で再び同賞に輝く。2014年「ふしぎな岬の物語」で優秀助演男優賞、そして2019年、「閉鎖病棟 それぞれの朝」で再び主演男優賞を獲得し、同作は中国の金鶏百花映画祭でも外国語映画部門最優秀男優賞をもたらした。

スクリーンの上の彼は、テレビで見せるあの陽気さを脱ぎ捨て、無口で、影を抱えた市井の男になりきる。笑かす技術と、黙って人を泣かせる技術。その両方を行き来できることこそ、鶴瓶という俳優の凄みだった。

自分の名で歩く、という覚悟

1999年、彼はデンナーシステムズ(後の株式会社デンナー)を設立する。松竹芸能と兼籍しながら、自らの活動の足場を自分で築いた。1973年に結婚した妻・玲子との間にもうけた長男・駿河太郎は俳優となり、親子で芸の世界を歩んでいる。

2013年からはTBS「A-Studio」の司会を務め、ゲストの素顔を丁寧に引き出す聞き手としても新たな境地を見せた。2019年には芸術選奨文部科学大臣賞、2020年にはNHK放送文化賞を受賞。落語家として、俳優として、司会者として――どの肩書きでも一流であり続けるという、稀有な歩みがそこにある。

笑福亭鶴瓶という人を一言で言い表すなら、それはやはり「人間が好きな人」だろう。見知らぬおばちゃんの家にズカズカ上がり込み、気づけば家族のように馴染んでしまう。映画でスッと無口な男になって、観る者の涙腺をそっと緩めてしまう。

テレビの寵児でありながら、最後まで座布団を背負い続けた男。笑わせて、しんみりさせて、最後はちゃんと人情で締める。大阪が生んだ数多の芸人の中でも、彼ほど「人と向き合うこと」を芸の中心に置き続けた人はそういない。肩書きは増えても、その芯はあの日、無学を名乗った青年のまま、今も真っ直ぐに通っている。