老けない男が描き続けた40年——荒木飛呂彦と「ジョジョ」という発明

仙台の街並みのどこかで、ひとりの少年が手塚治虫に憧れて鉛筆を握っていた。1960年6月、宮城県仙台市若林区に生まれた荒木利之——のちに荒木飛呂彦としてマンガ史に名を刻む男の物語は、そんなありふれた出発点から始まる。
だが彼が生み出したものは、まったくありふれていなかった。重力を無視したような独特のポーズ、ファッション誌から抜け出してきたようなキャラクター、そして「スタンド」という発明。1987年に連載が始まった「ジョジョの奇妙な冒険」は、世代を越えて読み継がれる怪物的なシリーズへと育っていく。
そして読者がもうひとつ口を揃えて語ること——この人は、なぜか老けない。
仙台から「武装ポーカー」へ
荒木は仙台市立小松島小学校、台原中学校、東北学院榴ケ岡高等学校と地元で育ち、宮城教育大学を中退、仙台デザイン専門学校を卒業した。絵を描くことは幼い頃からの一貫した情熱だった。
転機は1980年。手塚賞への投稿作「武装ポーカー」が第20回手塚賞の準入選を果たし、週刊少年ジャンプでのデビューが決まる。20歳の地方在住の青年が、日本一の少年漫画誌の扉をこじ開けた瞬間だった。
「ジョジョ」前夜——試行錯誤の連載
デビュー後すぐに大ヒットが訪れたわけではない。1983年の「魔少年ビーティー」、1984年の「バオー来訪者」と、荒木は連載を重ねながら自分の作風を磨いていった。
不気味さと美しさが同居する画風、勝利のためにルールを逆手に取る頭脳戦、そして人間離れした「能力」の描写。後の代表作につながる要素は、この時期にすでに芽吹いていた。
1987年、「ジョジョの奇妙な冒険」始まる
1987年、週刊少年ジャンプで「ジョジョの奇妙な冒険」第1部「ファントムブラッド」の連載が始まる。ジョースター家の血脈を縦糸に、世代と舞台を変えながら物語は続いていく。第2部「戦闘潮流」、第3部「スターダストクルセイダース」で「スタンド」という能力バトルの概念が確立され、シリーズは決定的な人気を獲得した。
第4部「ダイヤモンドは砕けない」、第5部「黄金の風」と部を重ねるごとに、荒木の画風と物語は変容を続けた。同じ作者が描いているとは思えないほどに、絵は進化していった。
ジャンプを離れ、なお進化する
2004年、荒木は連載の舞台を週刊少年ジャンプから月刊誌ウルトラジャンプへと移す。少年誌の枠を離れたことで、彼の表現はさらに自由になった。2011年に始まった第8部「ジョジョリオン」は、2013年に第17回文化庁メディア芸術祭マンガ部門の賞を受け、2021年に完結した。
評価は作品の枠を越えて広がる。2012年にはファッション誌SPURの表紙が雑誌大賞のグランプリに輝き、2019年には第69回芸術選奨文部科学大臣賞メディア芸術部門を受賞。手塚賞の準入選から始まった道は、国の芸術賞へとつながった。
老けない漫画家、その人物像
荒木を語るとき避けて通れないのが、「老けない」という伝説だ。1987年から現在まで、外見がほとんど変わらないことはファンの間で半ば神話のように語られる。
その背景には、トレーニングを欠かさない徹底した健康管理がある。音楽アーティストのプリンスを愛し、ホラー映画を好み、洋楽を聴きながら描く。趣味のひとつひとつまでが彼の美学を映している。2015年には創作論をまとめた「荒木飛呂彦の漫画術」を発表し、その思考の一端を惜しみなく公開した。
手塚治虫に憧れた仙台の少年は、やがて自らも国の芸術賞を受ける作家となった。40年以上にわたって描き続け、絵柄も世界観も変わり続け、それでいて本人だけは時間に取り残されたかのように若い。
「ジョジョ」をリアルタイムで読める時代に生きていること自体が、ひとつの幸運なのかもしれない。荒木飛呂彦の冒険は、まだ終わっていない。