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170センチの逆襲——長友佑都が「折れない体」で世界の頂点に挑み続けた理由

長友佑都(サッカー選手・ディフェンダー(サイドバック))の写真

サッカーの世界で、170センチという身長は決して大きくない。ましてや、フィジカルが物を言うヨーロッパの一線で、日本人の左サイドバックがレギュラーを張る——多くの人が「無理だ」と思った道を、長友佑都はただ一人、走り抜けてきた。

彼の武器は天賦の身長でも、ずば抜けたスピードだけでもなかった。「体格で勝てないなら、倒れない体を作ればいい」。その一点に、人生のすべてを賭けた男の物語である。

2008年のJリーグデビューから、4大会連続のワールドカップ出場。インテル・ミラノでの6年間。そして約11年ぶりのJリーグ帰還。長友のキャリアは、才能の物語ではなく、執念の物語だ。

愛媛の少年が、明治大学から世界へ

1986年9月12日、愛媛県西条市に生まれた長友佑都は、地元の小中学校を経て、サッカーの名門・東福岡高校へ進む。だが彼のキャリアは、エリート街道をまっすぐ進んだわけではない。

転機は明治大学政治経済学部での日々だった。大学サッカーの世界で頭角を現し、全日本大学選抜に選出された彼に、プロのスカウトの目が注がれる。そして2008年、FC東京でついにJリーグデビューを果たす。

デビュー初年度から、彼は只者ではなかった。Jリーグ優秀新人賞と優秀選手賞を同時に受賞。さらに日本代表に初招集され、北京オリンピックの舞台にも立つ。大学経由という遅咲きのスタートから、わずか一年での快進撃だった。

イタリアへ、そしてインテル・ミラノという聖域へ

2010年、南アフリカワールドカップで全4試合にフル出場した長友は、その夏、イタリア・セリエAのACチェゼーナへと旅立つ。海を渡る決断だった。

そして翌2011年、彼の名はサッカー史に刻まれる。名門インテル・ミラノへの移籍である。セリエAのど真ん中で、日本人の左サイドバックが第一選択のレギュラーとして定着する——それは当時、ほとんど無謀とも言える挑戦だった。

だが長友は、その地位を6年間守り抜いた。同年のコッパ・イタリア優勝にも貢献。2011年・2012年と連続でAFC年間ベストイレブンに選ばれ、2013年にはAFC年間国際最優秀選手賞を受賞する。世界が、170センチの日本人を認めた瞬間だった。

「ブラボー!」——4大会連続ワールドカップの軌跡

長友の代名詞は、ワールドカップである。2010年南アフリカ、2014年ブラジル、2018年ロシア、2022年カタール。実に4大会連続で、彼は日本代表の左サイドを駆け上がり続けた。

なかでも2018年ロシアワールドカップ、決勝トーナメント進出を決めた直後に放った「ブラボー!」の絶叫は、日本中の記憶に焼きついた。勝利の瞬間に全身全霊で叫ぶその姿は、彼の人間そのものを表していた。常に120パーセント、笑顔も涙もデカい男。

インテルの後は、トルコのガラタサライ、フランスのオリンピック・マルセイユと、彼は欧州を渡り歩いた。日本人選手としては異例の、長く、広いキャリアだった。

体幹、ヨガ、栄養——「メンタルモンスター」の哲学

長友を語るうえで欠かせないのが、ピッチの外での探究心だ。彼は体幹トレーニングを極め、ヨガを取り入れ、食事と栄養を徹底的に管理した。身体の小ささを、科学と努力で補おうとしたのである。

その姿勢は、数々の著書に結実している。『長友佑都の体幹トレーニング20』『長友佑都の食事革命』『長友佑都のヨガ友』、そして2018年の『メンタルモンスターになる』。まるで自己研鑽の伝道師のように、彼は自らの方法論を世に伝えてきた。

2017年には女優の平愛梨と結婚し、4人の男児に恵まれた。家庭人としての顔も、彼の充実したエネルギーの源泉なのだろう。

2021年、長友は約11年ぶりにFC東京へと帰還した。世界を巡った男が、すべてが始まった場所へ戻ってきたのだ。2022年にはカタールワールドカップに出場し、4大会連続出場という金字塔を打ち立てる。

才能だけなら、もっと恵まれた選手はいくらでもいただろう。だが「折れない心」と「倒れない体」を、これほどまでに体現してみせた選手は、そういない。長友佑都の物語は、まだ終わっていない。